ねとねとねとはのねとねと日記

現実と想像とマンガ

『五等分の花嫁』第88話 -ねとねと懺悔-

完全にナめていた。

私はてっきり、数話くらいかけて、四葉と風太郎が京都を練り歩く様子をクローズアップするものだと思っていた。だから今週は、だらだら観光しているシーンを描くんだろうな、楽しみだけど中休みみたいな回なんだろうなと、高をくくっていた。

かんぜんにアホ丸出しだった。

京都観光のシーンは、冒頭のわずか1ページで終了した。

そして約8ページかけて、神社の前で"あの日の約束"を打ち込み、その後はページごとに怒涛の伏線回収を果たした。しんじられない勢いだった。

ラブコメ、特に週刊少年誌に掲載されるラブコメというものは、引き伸ばしから逃れられない運命にあった。ぼくとあの子の関係性は、3歩進んで2.99歩下がるを繰り返し繰り返し、ようやく結ばれそう、と思ったらクソみたいなライバルキャラがポコポコ登場してまたリセットを繰り返す、というのが、近年のお約束だった。その集大成が、『ニセコイ』というラブコメであり、週刊少年ジャンプの歴史に残るほど売れてしまった一方で、歴史に残るクソ漫画として未だに一部読者からヘイトを買っているわけである。そんなジャンプは今なお現在進行形で、ラブコメ漫画の引き伸ばしを続けていて、味のなくなったガムを読者に噛ませ続けているわけである。ナムサン。

そんな掃き溜めがごとき状況の中、『五等分の花嫁』はまことアッパレな漫画で、序盤から話の展開に躊躇がなく、とにかく毎話毎話、物語を前進させる力に溢れていた。その勢いは中盤も続き、終盤に差し掛かったと思われる現在もなお勢いを失っていない。

そんなことは私はとっくにご存知だったはずだが、どうも心の中でまだナめていたらしく、ここまで一話で伏線を回収してくるとは思ってなかったし、しかもかんぜんに予想していた展開の上を行っていた。物語の調和が取れすぎている。

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私はてっきり四葉は運動方面に頑張ることを約束していたものだと思っていたので、勉強を頑張るつもりだったことは恥ずかしながら予想していなかったし、お金を稼ぐという目的も考えてなかった。しかしこれは予想すべき範囲内だったし、いま考えてみれば物語の整合性を鑑みても当然の出来事である。かんぜんに考察が敗北した瞬間である。真っ向勝負での負けである。ねとはは敗北を認める。

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母親に特に懐いていた五月が、死に絶望して、母親をトレースするように敬語を使うようになったことは、誰もが考えていたことだったはずだが、それをこの僅か1コマで表現するとは思わなかった。絵とセリフの説得力が強すぎる。ちょっとこの人、漫画がうますぎる。

というかこの作者、うますぎる。単純に画力が高いという意味ではない。序盤から飛躍的に絵がうまくなっているのは事実だが、これくらいの画力の漫画家はごろごろいる。うまいと思うのは、平たく言えば「表情の描きわけ」である。物語の要所要所に必ず訪れるクリティカルな場面、すなわち"見せ場"にて、シーンにふさわしい表情を作り上げるセンスが尋常じゃない。記号的表現・喜怒哀楽のコピーアンドペーストにぜんぜん逃げず、毎度"今""ここに"必要な新しい表情を作っているので、場面の説得力が倍増しているのである。

恐れ入った。絵の説得力が強ければ、間延びしたセリフが必要なくなり、結果コマの濃度が濃くなり、 話のテンポも良くなるというわけである。

美しい漫画は、1コマが踏み出した勢いを次のコマが受け取り、その力を殺さずに新しい動きを生み出し、また次のコマに受け継いでいくという、ダンスのような流麗な動きを魅せるものだが、『五等分の花嫁』からもその技量をしかと見出した。

ねとはは敗北を認める。

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  • 作者: 春場ねぎ,真島ヒロ,和久井健,山本崇一朗,安田剛士,大久保篤,宮島礼吏,寺嶋裕二,西尾維新,大暮維人,氏家ト全,金田陽介,千田大輔,大高忍,金城宗幸,ノ村優介,五十嵐正邦,流石景,猪ノ谷言葉,瀬尾公治,工藤哲孝,笹古みとも,小高和剛,中山敦支,鈴木央,高畑弓,大今良時,英貴
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『五等分の花嫁』第87話 四葉を迎撃する準備を整えろ

・四葉を想え

お前は四葉のことを真剣に想ったことはあるか。ひょっとしてまだ、四葉のことをナめてるんじゃあないか。もしかしてまだ、自分が死なないとでも思ってるんじゃないか? お前もしかしてまだ、自分が四葉に殺されることは無いとでも思ってるんじゃあないかね??

三玖が可愛い。そうだな、それは正しいな。私もそう思う。お前はいつだって正しいことを言う。でもそれだけじゃあダメなんだ。わかっているだろう? もう大人になる時が来たんだ。君も人生に向き合う時が来たんだ。三玖の瞬間最大風速は序盤〜中盤にあったんだ。逃げ馬は差されるんだ。それが人生の理なんだ。

二乃も可愛い。そうだな、それも正しい。私も強くそう思う。ツンデレの古龍種を復活させた功績は大きい。自分に素直な姿勢は、とても好感が持てるな。でもダメなんだ。二乃の瞬間最大風速は、ちょっと前に過ぎ去ったんだ。彼女のパワーはAだったが、持続性はEだったんだ。とても惜しかったんだ。

一花に魅力を感じる。そうだな、彼女はとても魅力的だった(過去形)。女性の嫌らしさを中盤から見せ始め、修学旅行直前で覚醒し、邪悪さを振りまき、マガジン読者を良くも悪くも興奮させた功績は大きいな。修学旅行編は、ある意味彼女が最も目立っていた。でも彼女は第86話で死んだんだ。いくら呼んでも帰っては来ないんだ。もうあの時間は終わって、君も人生と向き合う時なんだ。

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五月。彼女は可愛いマスコットだ。とてもチャーミングだ。

 

さて。お前は、今週の五等分の花嫁を読み終え、四葉のターンが決定的に始まったことを否が応にも自覚してしまったはずだ。おそらく最初で最後の過去編の始まり。タイトルは「私と姉妹①」。少なくとも⑤までは続くと予想しよう。これまで意図的にモノローグを封印され、主役を控えられてきたリーサルウェポンが、いま解放されることに、お前は恐れおののいていることだろう。恐れおののいているだろう?

恐れおののいていないのか??

お前は五等分の花嫁の、いったい何を読んできたんだ? 間違ってニセコイを読んできたんじゃないだろうな? あれは焚書指令を下しておいたはずだが、まだブックオフに残っていたのか?

あなアワレ。だが大丈夫だ。四葉ブレインウォッシングが未だ完了していない可哀想なお前らのために、私が今回記事を書くことにした。私と一緒にブレインウォッシングして、綺麗な脳ミソになろう。それはとても気持ちの良いことだ。

 

・四葉を振り返れ

物語の最初から四葉に注目して振り返っていこう。

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賢明なお前らにより100万回言及されていることだが、この画像の通り、四葉が写真の子であろうことは、第一話から伏線が張られていた。とはいえ決定的なほどでは無かったわけだが、第86話でついに答え合わせが為され、作者が始めから物語を綿密に構築していたことが示されることとなった。

続く第二話から、四葉は風太郎に寄り添い、あからさまに彼の肩を持つことになる。その優しさから、某お前らは四葉のことを「天使」と呼ぶようになった。しかしこの優しさには、やはり理由があることが分かったわけだ。

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まぁ当然こういうことである。直後に「嘘」と言っているが、「嘘」自体が嘘であり、四葉は最初から風太郎のことが好きで、味方をしていたわけである。なお、メタ読みにはなるが、アニメ版の声優の演技で「嘘」があからさまな棒読みだったことも裏付けになっていると言われている。

またこれは予想であるが、「好きだから」と言った瞬間の四葉の表情が、恐らく今回の過去編で明かされるだろうと思っている。そしてその演出は、きっとエモい。今までのどんなシーンよりも、きっとずっとエモい。たぶん泣く。作者の演出の巧さは今やマガジン随一であることは分かっている。魅せてくれネギ先生。四葉、私を泣かせてくれ……。

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たまにモノローグがあったかと思えば、純粋なる利他的な思い。四葉はずっと風太郎の味方をし、いつも風太郎を楽しませることを考えて行動してきた。自分の気持ちは胸に秘めたままに……ウッウッ。このあと四葉は林間学校を風太郎ファーストで行動したのはご存知の通りである。

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第36-37話はある意味四葉のご褒美回である。当然、四葉のモノローグは徹底的に排除されているので、この時何を想っていたのか推測しなければならないが、このなんちゃってデート回が、四葉に迫る一番のヒント回でもあったわけだ。

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このコマの直後の風太郎も気にかけているが、四葉の「闇」とも表現される領域である。利他的に過ぎて、自分の願望が分からなくなっているわけである。が、このエピソードとしての答えとして、以下が提示される。

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欲しいものは風太郎の笑顔だったわけである。ふつうに読んでいたら、このエピソードのシメとしてはとても美しい、ようにみえる。私もなんとなく納得して読んでいたが、しかしよく考えてみると、やはり四葉は他者の幸せが自分の幸せであり、結局のところ利他的であるという点で、根本的にはなんら変わらない。改めて気づきを得ただけである。四葉の好きなブランコによって笑顔がもたらされたという点で、構造として美しくみえるが、実際のところ、四葉の変化が起こるエピソードでは無い。むしろ四葉の四葉性が強化されているとも言える。ある意味「闇」は深まった。その利他性の純粋さには胸を打たれるが、同時に四葉自身をないがしろにしかねないその危うさは、とても見ていられない。

そしてその危険な利他性は、とうとう四葉にこんな表情をさせてしまう。

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一気に巻数をすっ飛ばしてしまったが、しかし、よくよく読むと、四葉が表に出てくるエピソードはこの間ほとんど無いのである。四葉が陸上部に振り回される話で、四葉の利他性が悪い方に作用したことを示したり、全員にスポットが当たった各々の勉強回では、四葉が落第/転校の原因になったことが判明したり、と、もちろん大切な情報は沢山あった。四葉の国語力で姉妹の「お手本」になれたり、温泉で一花を励ましたり、姉妹愛的(そして利他的)なエピソードも色々あった。

が、四葉と風太郎の関係性にまつわる話は、ほとんど無い。もう、ほっとんど無い。五月でさえ、風太郎との関係性はどんどん変化していっているのに、四葉と風太郎の関係性は、最初からまるで変わらない。当然の話である。四葉は最初から風太郎のことが好きで、かつ、その想いを表に出さず、何のアプローチもせず、関係を変えようとしてこなかったのだから。

しかし、上記画像のエピソードである第72話。

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クラスメイトからの意表を突く一声に、取り乱してしまう四葉。このリアクションに、おそらく多くのお前たちもまた意表を突かれたはずだ。四葉としては、秘めていた気持ちが、ついつい表に出てしまい、その結果、考えないようにしていた、風太郎と恋人同士になるという可能性を、頭に思い浮かべてしまったわけである。

しかし四葉は、すぐに現実に戻る。姉妹を優先する、利他的な自分を一瞬にして取り戻してしまい、哀しい笑顔を浮かべて、哀しい言葉を風太郎に投げかけてしまう。

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四葉……。

この後は、四葉はいつものように想いを秘め続け、修学旅行では三玖の味方をする。四葉の想いに気づいたのであろう五月が、四葉のために暗躍しようとするが、途中で四葉に気づかれてしまい、結局、修学旅行において四葉が前面に立つことは無かった。

そして修学旅行が終わり……。

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良くないぞ四葉。まったく良くない。四葉は幸せにならなければならない。

そのことをプロフェッサー・ネギはよくわかっている。だからついに四葉のターンが、いま、始まったのである。

 

・第87話

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モジャモジャヘボ監督の言葉がきっかけで、「みんなのお手本になる」という価値観が生まれる。この瞬間、羊水の中から変わらず同化を続けていた五つ子の中から、「四葉」という個性が誕生した。四葉は、このときに生まれたと言える。

たとえば長女の一花が以前からガキ大将的存在であったという話もあったが、それは実際、無意識的なものであり、大きな差別化では無かったはずである。意識的に最初に差別化を図ったのが、四葉。温泉回で自ら語っていた通り、四葉が意識的に変わろうとし始めたのである。おそらく風太郎との出会いで変化が加速し、うさちゃんリボンという記号を身につけることで、変化を明示化したのだろう。(という話も、きっとあと数話のうちに展開すると予想する。)

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我々は右のコマに注目しなければならない。風太郎目線ではどうだったか?

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風太郎目線では、まるで女神である。しかしその女神は、実は「四葉」というまだまだ没個性的な少女であり、このシーンでも緊張して拳を握っていたことが、今回判明した。

 

最終兵器・四葉の(読者への)攻撃が、次の回からいよいよ本格化する。未だかつてない過去編で、ほとんど描かれなかった四葉の想いが、この先噴出を極めることになる。我々は、四葉を迎撃する準備を整えなければならない。さもなければ、奇襲を喰らい、意味もわからず屍になりかねない。そうではない。お前は四葉を正面から向かいうち、堂々と四葉に倒されなければならない。なぜ自分が屍になってしまったのかを、理解しながら死ななければならない。それが漫画を読むということだろう?

四葉のことを想え。 

 

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『死因:わたモテ 喪157』〜谷川ニコに魂を持っていかれたとき〜

あなた。

呼吸、できていますか。できていませんよね、可哀想ですね。

人生、味わえていますか。味わえていないですよね、哀れですね。

私にはその理由がわかります。あなたは、喪157を読んでしまったから、ですね。本当にこの度は残念なことでした。現実はもう諦めなさい。とっとと裏の世界に来て、私とお友達になりましょう。

 

私は物語を取り込んで代謝して生きておる、醜くも必死な生き物であるわけだが、とりわけ"わたモテ"という永遠の黄金郷を見出してからは、現世の無価値感にほとほと呆れて過ごしておる。きっとお前らもそうだろうと想像する。なぁ、社会ってなんなんだろうな?

なぁ、映画でも小説でも漫画でも、何でもいい。優れて新しい物語に触れたときに、"持っていかれる"という、『鋼の錬金術師』ばりに、魂や肉体を奪い取られる体験をしたことがあるのではないか、あなたは? 私はある。というか、私はそのために物語を貪り食っていると言っても過言では無いだろう。しかし、そんな体験は稀である。どれだけ大金を積んだとしても、等価交換できる代物ではない。運命と根気の問題なのだ。そして、そんな体験を得られたとき、自分が本当に生きていると、実感できたとき、それこそが、幸せ、なのではないか? そう思うだろう? お前は。

私は、この木曜日正午に、わたモテに"持っていかれた"。魂を連れて行かれた。それは幸福な体験だった。お前も?

本当に私は今週のわたモテに感動した。本当に感動したのだ。それは決して、ストーリーライン/プロットが優れていた、という理由だけでは無い。そうもちろん、純粋にプロットが優れていたというのもあるが、それだけではないのである。根本的には、作者である谷川ニコの姿勢・心意気・態度に心を動かされたからこそ、感動したのである。これを私は講じたい。小一時間、他ならぬお前の周囲に影分身して取り囲み、気持ちよくなる物質(合法)を押し付けながら講じ倒したい、そう思いながら私は、「祝喪157更新打ち上げ」後の二日酔いのフラフラの頭でこの記事を書こうと思い立ったわけである。お前は真剣にわたモテに向き合っているか? 私は命を賭けている。

 

喪157「モテないし謹慎するってよ」。もちろん、『桐島、部活やめるってよ』の軽いオマージュである。中心人物の不在の錯綜・混乱と、そのあさっての収束を描いた、かの有名作を意識した作劇であったわけである。まぁ今回の話では収束までは描かれていないので、あくまで軽いオマージュと思われるが。

で、この展開、つまり、「もこっちの不在」が作劇されるであろうことは、前回の話のオチから、まぁまぁ予想されていたらしい。聞いているか。私はお前らのことを言っている。敬虔なワタモティストであるお前らは、まずまずこの展開を大雑把ながらも予想していたはずだ。・・・が、しかし。

ここまでと思っていたか?お前らは。

「もこっちの不在」から引き出された、これまでに溜まりに溜まった位置エネルギーの爆発性を、予想していたのか?と問いたい、お前らに。

修学旅行以降、もこっちを中心に錯綜に錯綜を重ねた群像が、とてつもないパワーをしこたま溜め込んでいたことを気付かせる、この作劇の偉大さを、予想していたのか?お前らは。私は、私は、予想していなかッたッッ。射程の外から致命的な攻撃を受けたッッ。脳味噌は生搾りグレープフルーツのごとく、グチャグチャに搾り取られたッッッ。5月23日午前11時35分、脳汁を撒き散らしたッッ、職場の、床に。。。アーメン。(死因:喪157)

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さて、もこっちの不在の話はこれまで全く無かった。わたモテという作品は、近頃群像劇が描かれるようになっていたとは言え、あくまで、もこっちが主人公であり、もこっちという愛すべきキャラクターが執拗に描かれ続けていた物語だったわけである。ところが今回は、徹底的にもこっちが排除され、もこっち以外のキャラクターが右往左往している。本当に右往左往している。その、彼女の不在の大きさが、哀しいほどに伝わるくらい、右往左往している・・・ゆりちゃん、ネモ、加藤さん、うっちー・・・。

私が言いたいことなぞ、賢明なお前らは分かりきっていると思うが、それでも言わせて欲しい。もこっちの巨大なる不在の表現こそが、逆説的に、もこっちの存在の巨大さを示しているのである、と。もこっちは、いつの間にか、巨大なる存在になっていたのだと。。。

そう。もこっちの不在という、わたモテ史上、前代未聞の作劇が、これ以上なく効果的で、かつこれ以外の演出が想像できない、すなわち唯一にして最大なる表現方法であり、まるで巨人の小さな小さな急所に、キリキリに研ぎ澄まされたレイピアで致命の刺撃を貫くような・・・そんな究極のワザマエを、目の前で、この令和の始まりに、まざまざと見せつけられた、その甚大なる感動を! 私は味わったのである!

何回でも同じことを言いたい。今回繰り出された、このアクロバティックな手法は、実際受けてみると、まさにこれ以外の手法は存在し得ないと思わされるわけである。決して正攻法では無いと思われたのに、実際には裏返って、正攻法としか思えなくなってしまった。その点に本当に私は感動した。

考えてみて欲しい。昨今のわたモテは、第二次ブームが明らかに到来している。最新刊のkindleのランキングも 1位を獲得していた。某掲示板の勢いも日に日に増しているという。twitterで#わたモテと検索をかけてみれば、いついかなる時も、お前らの魂の叫びが迸っている。原画展も大盛況だった。

凡百の漫画であれば、かように人気を博した時、どのような行動を取るだろうか? そう、凡百の漫画であれば、"守る"。時に本能的に、時に戦略的に、人間は、その勢いを失わせないために、"守る"・・・。その正しさを我々は否定することはできない・・・。 

しかし、見よ。わたモテを。谷川ニコを。今回の誠に勇敢なる作劇を。

わたモテは、谷川ニコは、完全に""攻め""ているッッッ!!!  そしてそれは完全なる成功を収めているッッッ!!!

谷川ニコの、この攻めの姿勢と、その手法の完璧なる成功に、私は猛烈に感動した。だから私は、向こう側に持っていかれた。このことを伝えたかった。

 

今回は細かい考察は特に書かない。twitterで#わたモテを追えば、アノニマスなお前らの粒ぞろいの考察がバンバン出てくる。それで十分だろう。

今後のわたモテの展開は、きっとますます凄いことになるだろう。私が見る限り、3-5の登場人物に、のっぺらぼうのモブキャラは一人もいない。これはもしかすると、最終的にはクラスメイト全員の群像劇を描くという、途方もないことに、谷川ニコが挑戦しようとしている、その意志の表れなのではないか、とも思っている。 

次にわたモテはどこに私を"持っていって"くれるのか? 今後も生存を続けるのが楽しみでしょうがない今日この頃である。  

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ところで、先日のわたモテ原画展に、敬虔なるワタモティストたるお前らは、無論参加したであろうことを、私は知っている。もちろん私もキンキチホからエンヤコラ参戦した。「ブックマーク浅草橋」で目にしたのは奇跡であった。谷川ニコという、純粋で真摯な作家の魂の息吹を、確かに私は感じた。1コマ1コマに、情念が宿っていた。

この作家は、本当に真面目なのだろうと思った。サイン本の絵を見ても、ここまで丁寧に描くか? と思えるくらいに、サービス精神に満ち溢れた、ひとつひとつ時間をかけたのであろう、美しいイラストだった(私は当選していないので、ネットに上がっていた写真を見ただけだが)。雑な仕事はしない。谷川ニコもまた、作品に魂を注いでいるのであろうことを強く感じた。

我々は谷川ニコを、守護らねばならない。

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 喪144 ~わたモテはゆり漫画である~

敬虔なワタモティストである私にとっては、そろそろゆりちゃん回が来るであろうことは分かっていた。無論お前らもそうだったろう。GWの予定は全て消化されていたはずだし、あるとしたら弟のイベントか、唐突にネモ特別回が挟まれるか、それくらいだろう。いずれの可能性もそう高くはないと思われた。畢竟、ゆりもこ名前呼びイベントが濃厚だったのである。心構えはできていたはずだった。そうだろう?

更新時間である午前11時30分の少し前、私はオサレな喫茶店に入り、カウンター席に腰掛け、エビカツサンドイッチとウィンナーコーヒーを注文した。アンティークの時計をはじめとした調度品の数々が、さりげない程度の密度で飾られており、年月による選択と淘汰を思わせる内装だった。まさに優雅にわたモテを楽しむに不足ないお店に思われた。運ばれてきたサンドイッチをかじり、コーヒーの心地よい香りに包まれながら、私はその瞬間を待った。これほどまでにオサレを準備すれば、完全にわたモテを楽しめるだろう?

そんな傲慢が全ての過ちであった。1ページ目を開いた瞬間、およそ三ヶ月ぶりに姿を現した生ゆり、そしてタイトルの"名前を呼び合う"に金剛を叩き込まれ、脱出不可能の煉獄が繰り出された。わかっていたはずなのに避けられなかった。私は激しく動揺した。手は震え、汗が滲み、口が渇いた。気持ちを落ち着かせようと手に取ったコーヒーは盛大にこぼし、サンドイッチには味が無かった。現実には意味が無かった。生ゆりにだけ存在があった。そしてゆりもこという関係性があった。そこにはオサレな喫茶店はもちろん、私も存在する価値が無かった。私はこれから先、どう生きていけばいいのだろう。壁や椅子にでもなれば良いのだろうか。

更新からの二日間、およそゆりちゃんのことしか考えずに日々を送ってきたが、現実との折り合いも兼ね、今回記事を書くこととした。お前らも早く目を覚まさねばならない。過酷な現実がそこにはあるが、目をそらし続けると、生存ができない。生存ができないと、ゆりちゃんに会えない。ゆりちゃんに会えないと、生きる意味が無い。生きるためにも、私といっしょに生存しよう。

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お前らの視線の動き程度、私にはわかる。ページを開いたとき、まずは改札を通る生ゆりが目に入る。つまりゆりちゃん回だと察する。お前らは瞬間、発狂しそうになるが、まだ慌てる時間では無いと、心を落ち着かせる。しかし次の瞬間タイトルが目に入る。このタイトルは約束されし勝利を意味している。

人間の脳はそう頑丈にはできていない。ちょっとした衝撃で簡単に異常が生じる。過酷な現実を生きるお前らはそのことをよくわかっているはずだ。だから、色々な方法を用いて、ストレスを分散させたり、ごまかしたりして、なんとか騙し騙し、脳の機能を正常に保とうと努力している。しかしそんな努力はゆりもこの前では全く役に立たない。全てが水の泡である。そしてこのタイトルはどう考えてもゆりもこである。本当にありがとうございました。

ところで今回の話の見どころは、ゆりもこ以外にもたっぷりとある。マジでたっぷりとある。キャラの関係性は錯綜に錯綜を重ねており、全コマを取り上げたいところなのであるが、この記事ではゆりもこ一点特化とする。

そうした視点で今回の話を読むと、15ページ中、実に11ページ目までは、NOTゆりもこなのである。いや、ゆり→もこに関してはたっぷり描かれているのであるが、ゆり↔︎もこは11ページ目まで出ないのである。わかりますよね?

そしてこの約10ページの間、ゆり→もこを描くと同時に、同時にですよ?、うちもこ、ネモクロ、きよもこ、かともこ、わだもこ、のみならず! 座席表からの無限の可能性に、ネモゆりも描くし、キバ子もキャラを立たせるし、ちょっとした描写だけで吉田さんが遅刻してすぐ寝てることも描けてるし、この漫画いったいどうなってんの??  へたな漫画の単行本一巻分くらいの情報量がここにはあるで??

もう一回言いますけど、ゆりちゃんが名前を呼びたくてヤキモキしている描写と、もこっちを始めとした群像劇の描写が完全に両立してるんですよ。GW明けに席替えがあるっていう予告はだいぶ前にされてたから、いつかそれで話を作るんだろうとは思ってましたけど、鮮やかに成り立たせすぎでしょ?? ハンターハンターで言ったら、アルカ編と選挙編を完全に両立させたのと同じくらいの錬成度でしょ。

フー、ちょっと気持ちを落ち着けるで……。そう、もこっちの名前を呼ぶ直前のゆりちゃんのように息を整えて……。

改めて、11ページ目からはじめていくで。

 

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アッ、アァーー!!!!!

アーーーーーー!ゆりちゃん!アァーーーーーー!!!!!!! 

なにこれ、なにこれ???アァーーー!!!!!!! 

フゥー、フゥ、フゥ、フゥー、フゥ、フゥ、フゥー、フゥ、フゥ、フゥー

アァーーーーーーーー!!!!

お医者さん!!!お医者さん!!!!!!!アーーー!!!! 

 

 

 

はい。

それで次のコマであるが、

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注目すべきは、もこっちの吹き出しが、徐々に歪んでいくところである。目のグルグル具合や、後のセリフから考え合わせるに、この場面のもこっちはだいぶ動揺しているようである。直前まで、ゆりちゃんと呼ぶことに関して逡巡していると思われる。結果、苗字で呼んでしまうわけであるが、なぜ苗字になってしまったかというと、これは"みんなの前で"言うのが照れくさかったからである。なぜなら、

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靴箱の前でゆりちゃんを呼び止めるときは(ゆりちゃんが何故怒っているかわかっていないのにも拘らず)名前で呼んでいるからである。これは重要なことである。強調しておくが、もこっちは、ゆりちゃんと二人きりのときには、 "ゆりちゃん"と呼べるのである。他の人がいる前では、少なくとも現時点では、呼べないのである。

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そして最終コマのこれである。わかるか? 「そういやお昼のあれ何?」である。この直前のコマでも"智子"と呼ばれているのに、そのことに関しては言及していない。つまり、これもさっきと同じ、"みんなの前で名前を呼ばれることが恥ずかしい"のである。言い換えると、"ふたりの時なら智子と呼んで良い"のである。わかりますか??

ゆりちゃんの「!」の意味合いについても考えていただきたい。この「!」は、もこっちが"みんなの前で"名前を呼びあうことに恥ずかしさがあっただけであり、"ふたりの時に"名前を呼びあうことに関しては問題が無いのだと理解したがゆえの「!」なのである。直前のコマにおいてゆりちゃんのわだかまりが解けたように見えるが、真にわだかまりが解けたのは、この「!」においてであろうと推測される。この喪144において、最も密度の高いセリフはここの「!」であろう。思考と感情が凝縮されているのである。一見、余韻を残すようなコマに見える最終コマだが、その実、見逃せないコマなのである。 

では結局、一体何が起こっているのかというと、もこ→ゆり警報が鳴り響いているということなのである!!!! 「名前で呼びあうのはふたりの時ね、みんなの前では恥ずかしいし」と言っているのと同義なのである! 隠れて付き合ってる恋人のムーブかよ! あたまおかしくなりそうだわ!!!! なにしてくれとんねん!!!!!

今回の記事で一番言いたかったのはこのことだったのだが、最終コマ手前も見逃せない・・・最後にこちらも触れておこう・・・。

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尊すぎて死にそうになるコマであるが、落ち着いてほしい。けっこう感慨深いコマなのである。というのも。

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上が修学旅行中、下が修学旅行直後であるが、つまり、ゆりちゃんがもこっちのことをバカだと思っていたのは、ほとんど初対面時からなのである。しかし、バカと口に出したのは、作中では今回が初めてなのである。そして、こちらとも比較してみよう。

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もこっちがほとんど同じ反応をしている点から、作者も対比を意識している可能性は高い。

どちらの場面でも、もこっちはムッとした反応を返しているが、「バカ」と発言したネモもゆりちゃんも、愛情を持って言っているであろうことは想像に容易い。「バカ」と愛情を持って言える関係というのは、かなり近い関係性なのだろう。

ネモは遠足でもこっちに急接近し、そして成功したがゆえに(ネモクロ呼びなど)、このような近い関係性が結ばれた。俗な表現でアレだが、遠足の一日で、ネモはゆりちゃんを抜き去ってしまっていたと言えないこともない。ネモは関係を作るのが早いのだ。

しかし、ゆりちゃんは、修学旅行以降、地道に地道にもこっちと関係を作ってきた。そしてついには、今回、「バカ」呼ばわりすることができるくらい、もこっちとの関係を築くことができたのである。ネモから少し遅れて、この関係性を得られた。いや正確に言うと、「バカ」と気兼ねなく呼べると"ゆりちゃん自身が"自信を持てる関係にようやくなれた、のだろう。

そういった意味でも、なかなかに感慨深い一コマなのである。

 

少々取り乱した場面もあったが、言いたかったというか、吐き出したかったのは以上である。吐き出さないとあたまがおかしくなっちゃいそうだったのである。わたモテという漫画は罪過ぎる。次の更新(ネモ回確定であるが)まで、過酷なる現実世界において、息継ぎをしながら、その日を待ちたい。なお、私はまごうことなきゆりちゃん派なので、やや偏った意見を言っているかもしれないが、お目こぼしいただきたい。

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 喪140 ~加藤さんは決して"マリアさま"ではない~

どう考えてもわたモテが今もっとも面白い漫画ということになっている。このことはお前らも重々ご承知のことだと思う。世の中には摂理というものがある。

当方としても、例えばろくでもない一日の終わりにはわたモテを欠かせない。わたモテを読まないと眠れないし、わたモテを読むと興奮して寝付けないという、正か負かよくわからないスパイラルに陥っており、ある種の精神依存を呈している。

そんなわたモテであるが、現在の最新話である喪140が滅法アツい。寝る前どころでなく、ヒマさえあれば、たとえば横断歩道の信号待ちの時間や、エレベーターを待つ時間などにも読み返している。私はゆりちゃんを愛しており、最高のゆりちゃん回であった喪138を超える話は今後そうそう現れないだろう、超えるとしたらそれはまたゆりちゃんなのであろう、とたかをくくっていたのだが、瞬間、加藤さんの圧倒的戦力に私は為す術なく、細胞単位から自分自身を見直さざるを得なくなってしまった。

100回以上読み返すことによって、少しずつではあるが私は加藤さんのことをわかり始めたような気がしている。お前らにも加藤さんのことを理解って欲しいがゆえ、ひさかたぶりにブログを更新することにした。私といっしょに考察をしよう。対象範囲は喪140のラスト手前4ページの心理戦である。

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このコマから喪140のクライマックスが始まるわけである。宮崎さんのセリフ通り、この2人が"仲良い"のは客観的に見ても意外であるし、もこっち自身も"仲良い"ということにはしっくりきていないはずである。それがゆえに、今回のすれ違いを生んでいるのである。ちなみに、もこっちが喪140内で座るシーンは4回あり、最初の1回だけはミニスカートに合わせて足をしっかり閉じているのだが、以降の3回はだらしなく普段の座り方に戻って足を開けている。この解釈としては、緊張が少しでも解けたと捉えるか、単に疲れが出たと捉えるのか、まだ私にはわからない。ご教示願いたい。

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もこっちの吹き出しの形には常に注目するべきである。緊張が強いときには吹き出しの形は不安定であり、落ち着いているときには安定する。基本的な傾向としては、しゃべり出しの時は不安定で(どもることが多い)、舌が回ってくるにつれて安定してくる。もっとも安定している吹き出しの形は、明らかに手書きではなく、機械的な楕円形である。もこっちが気を許している相手(ゆりちゃんなど)に対してはほぼ楕円形になっているし、もこっち以外のキャラも基本的には楕円形の吹き出しである。我々はもこっちの吹き出しの形から、もこっちの感情の機微を読み取らなければならない。

さて、この2コマでは、もこっちは表情からも加藤さんにかなり気を遣っていることがうかがえる。言い換えるともこっちは加藤さんに距離を取っている。そして加藤さんはそのことを気にしている。さらにもこっちはここで"根元さん"と"田村さん"の名前を出してきた。恐らくこの2人の名前が出たことがとどめとなり、加藤さんから戦いの火蓋が切られることとなる・・・。

なお、ご承知の通り、加藤さんはモノローグが一切無いキャラである。このことが加藤さんの謎めいた雰囲気に一層貢献しているのであるが、悩ましいことに、加藤さんの心情の解釈を難解にもしている。わたモテにおいて、キャラの三点リーダー「……」にはことごとく深い意味合いが持たせられているのであるが、加藤さんの三点リーダーの解釈はとても難しい。しかし我々はこの苦境にも全力で立ち向かわなければならない。加藤さんの三点リーダーの打破無くして、加藤さんの心情を理解することはできない。

上記のコマの加藤さんの三点リーダーであるが、一日を通して感じられたもこっちの距離感に加えて、さらに上述の通りもこっちが距離を取っていること、客観的に見てももこっちが心を許していると思われる根元・田村の名前を出されたこと、これらのことが加藤さんの心中でないまぜになっている状態を表している、と解釈できよう。

次のコマで「…黒木さん」と加藤さんが語りかけ、そして次のコマ。 

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加藤さんの髪の毛が風になびき、左耳のピアスがチラリと見える。その表情は一見柔らかいが、やや憂いをたたえているようにも見える。

この場面は、加藤さんのこの日一番の勝負どころである。否、この日どころではなく、もこっちに対しての一世一代の大勝負である。加藤さんは賭けている。

ここでもこっちは、何となくただならぬ気配は察知していると思われるが、まだそれが何なのかがわからない。意図が分からず、戸惑っている。しかし、戦いは既に始まっているのだ。

次の4コマで、加藤さんは畳み掛ける。

「私は黒木さんと一緒にこの大学へ通いたいと思ったから今日このオープンキャンパスに参加したけど 黒木さんは違うんでしょ?」

「黒木さんは根元さん田村さん内さんといたいのかなって…」

「私じゃなく内さんと話してるほうが楽しそうだったし」

「私の飲みものじゃなく内さんのを選んだでしょ」

ここでもこっちは加藤さんの意図を理解する。黒木さんは私と同じ大学に通いたいと思ったわけじゃないんでしょ、黒木さんは私よりも他の人と一緒にいたいんでしょ、黒木さんは私と話しても楽しくないんでしょ。もこっちはすれ違いがあることに気づく。自分の思惑とズレてしまったことに、ディスコミュニケーションがあったことに気づく。そのことがもこっちの思考の吹き出し「いやそれは絵文字だから気をつかわないで話せるから」「だって間接キスになるし…」に表れている。このすれ違いが、次のコマからのもこっちのモノローグへと連続していく。

なおこの時点で加藤さんは、もこっちが自分と距離を取っている→自分と親しくしようと思っていないのかもしれない→でも、だとしたら今日一緒の大学に来てくれたのはどうして? と思考していると思われる。このことをはっきりさせるために、加藤さんは戦いを挑んだのだ。

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2コマにわたってもこっちのモノローグが続く。特に上のコマは文字の比率が高い。加藤さんともこっちの表情も描かれている。だいぶコマの中は混雑していると言える。にもかかわらず、「サァァ」という風の擬音と木の葉が描かれている。ここに我々は注目しなければならない。ここで彼女たちの空間では風が音を立てて流れているのである。これは私は時間経過を象徴していると解釈する。情緒的な意味合いも勿論あるだろう。しかしそれ以上に、ここでは、もこっちが時間をかけてしっかりと自分に向き合っていることを示唆しているのだろう。上記のモノローグは時間のかけられた思考である。

風の流れているコマがこの1コマだけであれば、私もさほど注目しなかったのだが、後述するように、もう1コマ、風の流れが表されているコマが出現する。このコマと、後の1コマは、呼応しているのである。

さて、この2コマの内容面についてはどうだろうか。もこっちは、通常、親しくても親しくなくても、人のことを"こいつ"呼ばわりする。しかし、加藤さんに対しては"あのひと"や"このひと"と心の中で呼んでいる。他のそのような対象は今江先輩くらいであり、つまり、一目置いている人、尊敬に価する人に対しては、そのような(心の中の)呼び名にしているようである。

その上での「私がこのひとの友達として釣り合うとは思えん」である。もこっちはプライドが高いようにみえて、その実、自己評価が非常に低い。もこっちは今でこそ、ゆりちゃんやネモたちと仲良くなっているが、従来彼女は自分を大きく見せることでしか人と仲良くなれないと思ってきていた節がある。2月のバレンタインにおいて恐らく初めて自分の等身大を受け入れてくれる友達(ゆりちゃん)ができたのだと認識した、と思われるが(わたモテ語り バレンタイン+α | オーシャンズロデオに詳しい)、まだまだ従来の思い込みが抜けきっていないようである。他人に本性を知られると、幻滅されると思い込んでいるのである。いわんや、相手は、上の存在であると考えている加藤さんである。

しかしもこっちはここで逃げない。もこっちは基本的には真面目であるし、さらに少しずつ成長を遂げてきている。大ボスである加藤さんに対しても、真摯に向き合おうとする。我々は、ここでもこっちの決意に涙しなければならない。なお後ろで蠢いているうっちーについては今回は無視することとする。

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 このコマでまず注目すべきは吹き出しの形であろう。綺麗な楕円形を描いている。もこっちは加藤さんに対しては従来、少なくとも喋り出しは不安定な形を描いていたのだが、ここでは最初からはっきり安定している。もこっちの勇気が表われている。そして真面目な表情。もこっちも勝負に出たのだ。後ろの絵文字'sが脱臭しているが、紛れもなくこの場面はシリアスそのものなのである。我々はもこっちの成長を祝わなければならない。

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このコマでも吹き出しは綺麗な形をしている。ちなみに2年の打ち上げでちんこの話題になった時、隣には加藤さんがいたが、その際、加藤さんの反応は一切描写されなかった。しかしこの漫画では、コマの中では描かれていないところでも、ストーリーは動いているのである。もこっちはその時に加藤さんの前で嘘を吐いていたということをはっきりと認識していたわけである。我々は警戒を怠ってはならない。

そして加藤さんは「それがどうしたの?」とキョトンとした表情で返している。ここで加藤さんは恐らく"それが一体何が問題なのか"と本当に疑問に思っているのである。つまり、この時点ではもこっちの意図を理解していない。突然自分のことをド変態なんだと言い出して、さっきまでの会話と何の関連があるのか、と訝しんでいるわけである。 

加藤さんの反応通り、恐らく多くの人は、ちんこ画像のことは大した問題だと捉えない。しかし、もこっちにとって軽くトラウマとなっていたこの出来事は、てっきりドン引きされると思っていたのに、想定と違う反応が返ってきて、「え!?」となったわけである。

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まだ綺麗な吹き出しである。自分の意図が伝わらなかったと考えたもこっちは、自分のことを買い被っているのだ、と改めて伝えようとする。もこっちは自分を卑下している。ここで加藤さんの三点リーダーが出現する。この解釈は何か? 恐らく加藤さんは、この時点で、もこっちの意図を、何となく察したのだ。もこっちが自分に自信が無いということまでをも。そして加藤さんは返す。そんなことは仲良くならない理由にはならないのだと。変化したフォントから察するに、恐らくは優しげな口調のはずである。ペニスのくだりなどはギャグによる脱臭作用もあるが(タイプってなんやねん)、シリアスな場面は続いている。戦いは、次の第2戦へと引き継がれる。

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もこっちの吹き出しの形が歪む。この歪みの解釈は難しいが、もこっちがたじろいだことに加え、緊張が滲み出たのだと私は考える。何の緊張か? それは、ちんこの話題よりも、もこっちが口にしたくなかったこと、つまり加藤さんに失望されると考えていることを、この後吐露しようとしているから、だろう。背景のグレーのスクリーントーンは、もこっちの不安の表現だろうか?

そして、次の2コマが、この回で最もクリティカルな場面である。

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まず右のコマ。もこっちの吹き出し。もこっちの表情。風に舞う木の葉。加藤さんの表情。加藤さんの三点リーダー。大きくこの5つの情報があるが、我々はどの1つも見逃してはならない。

もこっちは自分のことをド変態である、として話を切り出した。確かに、エロいゲームを見せた、という点は、ド変態と称したことと無関係では無いが、この話題の焦点はそこではない。そもそももこっちは決してド変態であることを加藤さんに知らしめようとしているのでは無く、自分が大した人間では無い、あなたは私のことを買い被っているのだ、ということを知らしめるために、この話をしているわけである。

ここではもこっちは、岡田さんとネモが仲直りできたのは、決して自分の手柄ではない、と言っている。「何もしていない」とまで言っている。加藤さんが自分のことを買ってくれているのは、 このエピソードを誤解しているからだ、と捉えているがために、出てきた言葉である。もこっちはかなり覚悟を決めてこのことを話している。もこっちの表情を見よ。かつてない程に悲しそうにしょげ返った表情である。あなたはもこっちのこんな表情を見たことがあるか? 誤解を知った加藤さんは、自分から離れていってしまうだろう、そこまで想定していてもおかしくないのである。

そして、風に舞う木の葉。前述したように、風が表現されているシーンは、もこっちのモノローグのコマとこれを合わせて、2つだけである。わざわざ木の葉が描き込まれているということを、我々は無視することは出来ない。

考え過ぎだと思うお前らは、たとえば喪122を思い出すが良い。あのエピソードでは舞い散る桜の花びらが印象的であったが、よく見ると、ところどころにスクリーントーンが貼られている花びらがあることに気づく。さらによく見ると、その花びらは、もこっち・ネモが登場しているコマだけに貼られていることに気づくはずである。そして最後のコマには、地面に落ちた、二枚の花びら。このエピソードは複数のキャラが錯綜して登場した回であったが、卓越した演出力により、極めて綺麗にまとまっている。そしてこの花びら、これはつまり、結局はネモともこっちの関係性が主眼であったことを示しているわけである。谷川ニコはここまでやる。花びらのスクリーントーンにまでも意図を仕込むのである。だから今回の木の葉は、決して無視できない。

さて、ではこの場面での木の葉は何を意味するか? これは先述のもこっちのコマと呼応している。このシーンにおいては、風は時間を、時間は思考を示唆する。先述のコマではもこっちは長いモノローグにおいて、深い内省が行われていた。すなわち、今回のコマでは、加藤さんが深い内省を行っていると考えるのが自然である。加藤さんの三点リーダー「……」では、かなりの思考が巡らされているはずである。そして、加藤さんの表情は、仄かな笑顔。では加藤さんはこの場面で一体どのような思考を巡らせているのか?

加藤さんは、これまでのもこっちのセリフから、確信を得たはずである。もこっちの思いを、この「……」において完全に察した。すなわち、もこっちは、過度に自身を卑下しているであろうこと、距離を取っていたのはそのせいであること、そして加藤さんがもこっちのことを買い被っているのだともこっちが思い込んでいるのであろうことを。であれば、加藤さんは反省したはずである。先日のカフェにおいて、加藤さんがもこっちに「黒木さん根元さんと茜を一瞬で仲直りさせたじゃない 私や周りの人が誰もできなかったことをしたんだよ」と告げたことを。このことを、もこっちは、必要以上に気にしてしまった。であれば、加藤さんは、改めてもこっちに告げなければならない。加藤さんが決してもこっちのことを買い被って仲良くしたいと思っているわけではないということ、自身をそんなに卑下する必要は無いのだということを。加藤さんは、可哀想に萎縮してしまっているもこっちのことを、安心させてあげなければならない。

ざっと以上の内容を、このコマで加藤さんは考えていると思われる。

そして、左のコマ。見よ、加藤さんの真剣そのものの表情を。あなたはこんな真剣な加藤さんの表情を見たことがあるか? もこっちの覚悟に反応し、加藤さんもまた、真摯に向かい合っているのである。そして加藤さんは伝える。「何もしていない」ことは無い、偶然かもしれないが、大きなきっかけは作ったし、黒木さんがいなければ仲直りはできなかった、私にはそれはできなかった、ということを。

そして加藤さんは畳み掛ける。第3戦へと続く。

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もこっちの返答を待たずして、「で」と繋げている。もこっちの心配など、なんということはないのだということを、暗に示そうとしているのである。「他には?」というのも、文字どおりに解釈してはならない。この時点で加藤さんはもこっちの意図を完全に理解している。であれば、もこっちが何を言おうと、加藤さんは最早何も気にしない。もこっちが卑下していることを、加藤さんは黙々と棄却していくだけである。

もこっちは完全にたじろいでいる。自分が覚悟完了、意を決して告白したエピソードが、一瞬にして退けられたからである。言うまでも無く吹き出しは不安定である。先ほどまで述べていた2つのエピソードに比べて、威力も無い。ここで勝負は決まった。あとは加藤さんはその話題も棄却して、「他には?」とラッシュをかけるだけである。もこっちはもう話せることは無い。

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加藤さんの満面の笑み。そして「よくわからないけど」というセリフ。だが、これまでの考察を踏まえれば、「よくわからない」訳が無い。加藤さんはもはや全てを理解している。であれば、どういう意図を持って発せられたのか? それはもこっちを安心させるがために他ならない。「黒木さんがなんでそんなエピソードばかり話すのかよくわからない、だって何も深刻に捉える必要なんて無い話ばかりでしょ? 今までの話の流れと何の関係も無いでしょ?」と。もこっちは何も気にすることは無いし、気にさせてはいけない、そういう気持ちを込めて、この言葉は発せられているのである。もこっちが覚悟を決めて話した、自分の恥部だと思っているところを、「今まで知らなかった黒木さんのこと」に綺麗に変換させてしまっているのである。

そしてこの満面の笑顔には、二重の意味合いがあると考える。一つは、もこっちが覚悟を決めて話したことにより気づけた、ただの誤解・すれ違いだったのだという安心、加えて、もこっちが歩み寄ってくれたという事実による、嬉しさ。つまり、加藤さんの本心の笑み。そしてもう一つは、もこっちを安心させようとする意図を持ったスマイルである。

この加藤さんの笑顔をもって、戦いは終焉を迎える。ずっと戦いに喩えてきたが、別にどちらが勝ったというものでもない・・・が、あえて言うならば、加藤さんの圧勝である。なぜか。それは、戦局を最終的に掌握していたのは加藤さんだからである。もこっちは、最後には加藤さんの意図に気づけていない。

もこっちも精一杯だったが、加藤さんも精一杯だったのだということを、もこっちは理解しきれていないのである。二つ目の風が吹いていたコマから、加藤さんは思考を巡らせている。あたかも聖人君子のように、”マリアさま”のように、なんという考えもなく、もこっちの全てを受け入れようとしているように、読者に対しても、もこっちに対しても、一見映る。しかし加藤さんは必死だったはずなのである。もこっちが離れていってしまわぬよう、自身を過小評価せぬよう、安心させるよう。

だから決して加藤さんは"マリアさま"では無い、というのが、今回の記事の結論である。過大評価されがちな、一介の女子高生なのである。だから、お茶を飲まれなかったときも、あんなに悲しそうな表情を浮かべたのである。

この後の最終ページについての詳細な考察は避けるが、一仕事終えた加藤さんの表情はとても柔らかいように見える。ようやく余裕が生まれたのであろう。

 

この喪140における、上記の攻防は、一コマ一コマの情報量が半端では無く、また加藤さんというモノローグ無しの難関キャラがために、考察は難航した。そのため、100回読まなければ気づけない景色があった。しかしその景色は美しいものであった。一読しただけでは、加藤さんは"ただの"マリアさまに見える。しかし、考察してみると、実はそうではなく、想定以上にもこっちへの情愛が深い一介のクラスメイトであるということがわかった。もこっちの加藤さんへの歩み寄りがあったと同時に、加藤さんからもこっちへの歩み寄りもあったのである。

わたモテという漫画は凄すぎる。一見シンプルに見える絵作りの中には、高度なテクニックが駆使されているのである。そこには作者のこだわりが感じられる。細部にまで魂が宿っている。我々は、その魂に対して、誠実に応えなければならない。次の更新は、9月6日である。この世にわたモテがあるという幸せを噛みしめつつ、その日を待とうと思う。アポカリプスが起こっても、わたモテだけは生き残って欲しい、私はそう願っているのである。