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現実と想像とマンガ

『フラグタイム』の漫画と映画は似て非なるアナル

漫画版の『フラグタイム』のクライマックスのシーンを、何回も読み返していて、一巡に30分くらいかかるから、毎日その間にお風呂が冷めちゃって困る。

聞こえる……ブタの鳴き声が

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今更でスマンやで。

世の中に遍く存在する百合豚が「フラグタイム尊いブヒ」と鳴き始めたのが2014年頃のことだったと思う。連載期間は2013-2014年。

話題になっていたのは漫画豚である私の耳にも届いていたから、当時試し読みくらいはしていた。でも一話で切っちゃった。ほんま、ブヒブヒうるせぇなぁ、これだから百合豚は……とか思っていた。

それからしばらく経ってから、今度はアニメ映画化するブヒ、ブヒブヒ、という鳴き声が聞こえてきた。

その頃にはすでに私はミーム汚染を受けて百合豚にジョブチェンジさせられてしまっていて、悔しい脳悔しい脳、でもキモヂイイブヒ〜とか鳴くようになっちゃってたから、それは聞き捨てならんブヒ! ってなった。

でもな、むかし一話で切っちゃってたからな、映画の話題性とか聞いてからまた観ようかな、って思ってたのね。で、そしたら案の定、映画最高ブヒ、ブヒブヒ聞こえてきたから、ほな観よかな、ってなったのね。でもまぁいつでもええかくらいに思ってたのね。

で、そろそろ観ようかなって、なったのが先週ごろなのな。

少し話がズレるけど、SF小説の『裏世界ピクニック』が好きで、今度同じ監督(佐藤卓哉)でアニメ化されるって聞いてたから、そろそろ手を付けとかんと、ますます豚たちにマウント取られてまうで、っていう焦りもあったのな。

アマプラで映画を借りて観た

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で、観たんだけど、まぁ、よかった。

「よかった」っていう感想は「カレーライスおいしい」くらいの情報量しか無いが、しかしとりあえず「よかった」と言っておこう。福神漬け程度に付け加えれば、エンディングで原作持田香織の“fragile”が主演2人の歌声で流れたのは、よかった。 

土下座しながらKindleで買って読んだ

本題はここからなんだが、そのあと漫画版を改めてちゃんと読んだんですよね。

そしたらむっちゃ面白くって、6年前の私の保有ミームとの差異に思いを馳せざるを得なかったんだな。意味わかります? 百合豚ミームウィルスに感染した結果、物語の捉え方に変化が生じたっていう、怖い話でもあるんですよ。なぁ、あんたもひと事ではないんやで。

映画版と漫画版はほぼ同じプロットだから、知ってる知ってるって思いながら読んだんだけど、それでも十分面白かった。

あらすじは改めて書く必要ないですよね?

「時間を一日3分間だけ止められる引っ込み思案のJKが、なぜか自分の停止世界に一人だけ入り込んで来れた同級生のJKと、百合をする」という話です。知ってますよね?

 

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以下、あんまりネタバレ気にせずに考察していくよ(一応、最重要ネタバレは回避している)。 

設定の段階ですでに一勝している

そもそも設定の単純さがうまい。

百合豚ミームのコンテクストの一つに「共犯者」という関係性があることを、あんたも知っているだろう。知らない? いや知ってるでしょ。「死体を女ふたりで埋めに行く」っていうやつ。『響け!ユーフォニアム』でもそういうシーンあったでしょ。

この漫画ではあらすじでそのまんま分かるように、止まった時間3分間のあいだに、JKふたりが秘密の時間を共有するわけで、この設定の段階であんたの百合コンテクストのスイッチが入っちゃうから、もうあんたの負けなんだよな。

二者関係への特化

本作では基本的に、二者関係のみを描く。

作者のさと先生もインタビューで答えてたのを目にしたけど、どうも三者以上は不得意な分、二者関係の描写が得意らしい。あまり複雑じゃないけど、単純な関係を丹念に描くのが好きそうなのは、作者の他作品を読んでも感じた部分ではある。

そして本作のポイントは、クライマックスまでは一貫して、主人公である「森谷さん」の視点から構成されているところにある。相手の「村上さん」の思考は最後まで隠されていて、最後の最後に明らかになる

こういう視点の固定というのは、時にかなりの威力を発揮する。あんたも『僕の心のヤバイやつ』が好きらしいな。そういうことだ。私の好きな作品『満月エンドロール』でも視点の固定が効果を発揮していたことを思い出す。

視点の固定は、おそらく、いくつかの恩恵を読者と作品にもたらす。

主人公への強い感情移入、他のキャラクターの内面の想像の余地、そして謎とカタルシス

この辺りの要素が本作では有効に機能していて、最終話で実際に「村上さん」の内面が明かされることで、強いカタルシスを生んでいる。

最初からこの構成を作者が計算していたことがよく分かる。「村上さん」が動揺する場面を、作者は終盤まで徹底的に隠している。顔の汗とかの感情的記号もほとんど付けない。平静を装って何を考えているのか分からないように描いている。

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クライマックスが白眉

そして、私が何回も読んでいるクライマックスの場面、ここが良くできている。

これまでの感情の隠匿を一挙に解放するようなエモーショナルな会話劇と、それを演出する、学校の教室や廊下という舞台の描写。素晴らしい。

一切オモテに本心を晒してこなかった「村上さん」の感情が爆発するのが爽快で、実際、主人公の「森谷さん」も同場面で「だめだ うれしい」と興奮しちゃっている。

これはもう率直に言って射精である。(射精は広義の意味で)

 

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『フラグタイム』の漫画と映画は似て非なるアナル

実はこのクライマックスの場面、映画と漫画でかなり印象が異なる。私の意見としては、このクライマックスの演出の差で、漫画版が圧勝している

そもそも、映画と漫画で、主人公の森谷さんのキャラが微妙に違う。映画版では微妙に大人しくなっている。なんというか、どうも原作漫画の方がお茶目なのである。この差がクライマックスで意外と効いてきているように思える。

クライマックスのキモは、森谷さんが村上さんを刺激・挑発して、彼女の隠匿していた感情を引きずり出すところにあるのだが、茶目っ気のある原作森谷さんの方が、調子に乗りやすくて”おちょくり方”が自然なのである。「この女、さては興奮しておる」と読者に思わせる。だから感情移入していた読者もいっしょに興奮、絶頂射精に至るという理屈だ。(射精は広義の意味で)

 

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また、漫画版ではこの最後のふたりが応酬する場面に、ギャラリーがいる。映画版にはいない。これはもう演出のニュアンスが決定的に違う。この場面のギャラリーは、二者関係を取り巻く「社会」に他ならない。「私とあなたと、このセカイ」ということだ。先ほど「共犯者」の話をしていたが、なんでこのミームが浸透したかって、そこにはやっぱりセカイや社会への後ろめたさや淫靡さがスパイスになって感情値や物語性が増したりするから、でしょう、たぶん。そして原作漫画では、この感情値がセカイに開放される。共犯関係が白日の元にさらされて壊れるところに快楽がある。

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さらに漫画版では、社会側(表面的な友人)からの重要な反応もあり、ふたりの関係性への後押しも行われる。

 

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一方、映画版では、ギャラリーは存在せず、誰もいない廊下での二者関係がクライマックスとなっている。一応、廊下に飛び出す直前の教室シーンでは、原作同様に「みんな」への告白が行われてはいるのだが、そのあとはまた二人だけの静かな世界に戻ってしまう。これは意図する演出の構造が全く異なる。(ひとり、男子生徒がふたりの後ろを通り過ぎるが、彼は全く彼女たちに興味を示さない)

そんなことは映画の作り手も百も承知のことだろう。つまり、映画版は、「3分間の停止世界が無くても、心が通じ合ったふたりは、ふたりだけの世界を新たに構築できた」というメッセージを選んだということだ。それとは対照的に、原作は「心が通じ合ったふたりの力があれば、こんなセカイでもいっしょに強く生きていける」というメッセージになっている。これらは似ているようでだいぶ違う。

演出の構造が違うと、このように、主題となるメッセージもだいぶ方向性が変わってくる。

ところが! である。

クライマックス後のエピローグでのセリフが、映画と漫画で、ほぼほぼ同じなのである。ここで、先ほどのメッセージのズレが違和感を生んでしまう。

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「自分以外の人たちのいる世界に入る努力をするようになった」というセリフは、映画版でも全く変わっていない。そのため、前述の映画版で改変されたメッセージとズレが生じてしまっているのである。

この私の解釈が当たっているとすれば、残念ながら映画版では詰めが甘かった、ということになるだろうか。。。

なお、擁護しておくと、映画版の演出は概ね高い水準にあって、心情描写と情景描写の重ね合わせ等にかなり労力を割いているのが見て取れて、そういう工夫を観れるのは楽しかった。音楽のシナジーも良い。声優も映画版のキャラには合致していた(宮本侑芽は好きだ)。映画は映画で「よかった」と思う。ただ、原作の完成度が著しく高かった、ということだ。 

結論

良くできている漫画だった。6年前に読んでいるべきだった。

全2巻という長さは、このワンアイディアの二者関係を描く分量として過不足が無い。

テーマ自体はありふれている。対照的なようでいて実は似ていたふたりが相補的に互いを求め合う、というのは王道的なものだ。ただしそれへの味付け全てが、満点の出来だった。

 

作者である”さと”先生は京都精華大学の漫画学部出身ということである。理論に裏打ちされた作劇として、なるほど納得がいく。

あと今wikipedia見て知ったけど、漫画家の村田真哉と2012年に結婚していたと。ほえー。

なお、本稿ではネタバレしまくったが、最も重要なネタバレはしっかり避けているので、未読の方は一応安心してほしい。この最重要点も、単純に演出面で原作の方が上回っていたので、映画を観たあとに原作を読んだ私も、改めて感動させてもらった次第である。 

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