ねとねとねとはのねとねと日記

現実と想像とマンガ

くそまんがの唄

きみはこんなこんな

くそまんがを描いてはいけないよ

 

ぼくはしってる

きみがこんなこんなくそまんがを

描きたくて描いてるのではないってことを

 

でもけっかてきにくそまんがに

なってしまっているということを

ぼくはざんねんに思わずにはいられないんだよ

 

きみはどうしてどうして

こんな雑なコマ割りをしているの

 

しっているだろうきみも

コマの形や大きさ

すべてに意味があるってことを

 

しらないはずがないだろうきみも

まんがは右から左に読むという当たり前のほうそくも

 

よのせんじんたちが

こぞってつむぎあげてきた

コマ割りのぶんかというものを

しらないはずがないだろうきみも

 

きみはどうしてどうして

マーケティングをわるいいみで意識するあまり

きぞんの作品のはりぼてをつくってしまっているの

 

しっているだろうきみも

ほんとうは自分のせかいを作りたかったんだって

 

しらないはずがないだろうきみも

あのときの夢を

いつだったかの憧れを

 

お金についていくというよりは

お金がついてくると考えるのがクリエイターだということを

しらないはずがないだろうきみも

 

だーめだよこんなくそまんが描いてちゃあ

だーめだよこんなくそまんが描いてちゃあ

 

いけないよぼくは許さないよ

知ってるんだぼくは

きみはほんとうはもっともっと

おもしろいまんがが描けるんだってことを

 

みせてくれよぼくに

くそまんがじゃない

きみの本当のまんがを

 

みたいんだぼくは

くそまんがじゃない

きみの夢と憧れのまんがを

 

ああくそまんが

ああくそまんが

 

くそったれなよのなかに

せめてまんがだけでも

くそったれであるなよ

 

ああまんがまんが

ああまんがまんが……

『ミザントロープな彼女』連載終了の蓋然性について

本日は3月7日。

good! アフタヌーンの発売日であるな?

まずそこから始めよう。その通り、発売日なことは確実だ。

そして、そのgood! アフタヌーンに『ミザントロープな彼女』は掲載されているな?

その通り、掲載されていることは確実だ。

お前はその掲載話を読んだな?

よろしい、読んだとしよう。

 

さて、その最終ページには何と書いてあったか、読むことができたか?

まずお前は「文字を読むことができる人間である」と仮定しよう。

その仮定に基づき、その字を解読してみることにしよう。

 

ミザントロープな彼女/おわり

ご愛読ありがとうございました!

厘の先生の次回作にご期待ください。

 

と書いてあるように見える。

ここで様々な可能性が発生するのがお前にも分かるはずだ。

 

① お前は本当は字が読めない

→これほどユニークでハイセンスなオモシロ漫画であるところの『ミザントロープな彼女』が突然連載終了するのは少々考えにくい。おっと、言い過ぎたな。突然連載終了するのは全く考えられない。よって、お前は文字の認識に過ちが生じている。

→だがこれは矛盾だ。文字が読めなければ、そもそもオモシロ漫画じたいを読むことができないではないか。

→やむなくこの可能性は棄却することにする。

 

②お前は字が読むことができるが、今回に限り、脳内で誤った処理が為された

→本当は全く違う文言が書かれているのに、白昼夢にお前は侵されている。やれやれ、このブラックな社会でお前は疲れすぎているらしい。これほどユニークかつハイセンスかつオモシロ漫画であるところの『ミザントロープな彼女』が突然連載するのは少々考えづらい。もとい。全く考えられない。よってお前は疲れすぎている。しっかり睡眠を摂った方が良い。母なる食事も摂れ。牛乳も飲め。

→この可能性は棄却できない。次号のgood! アフタヌーンにも『ミザントロープな彼女』は掲載されているかもしれない。

 

③お前は脳内でも正しい処理をした。ただし、違う世界線に迷いこんでいる

→元いた世界では連載が続いているのに、お前がブラックな社会で少々疲れすぎたせいで、闇に飲み込まれ、パラレルワールドに迷い込み、まるで悪夢のように『ミザントロープな彼女』が連載終了してしまった事実を目撃してしまっている。

→この場合は、元いた世界に何としても戻らなければならない。この世界においては連載終了してしまったことは事実だ。その現実を重く受け止めた上で、帰還することを目指した方が良い。私は喜んで協力する。

 

④お前は正しい処理をしているし、世界も同じ姿を保ち続けている。しかし、何らかの手違いで、文字が改変されてしまっている。

→編集者か印刷業者が間違えたか、はたまた作者自身が書き間違えたか。どの工程で過ちが生じたかは判然としないが、ともかく、何か手違いがおこっているのだ。

→この可能性は棄却できない。次号を待とう。これ以上は何も言えない。

 

⑤何も間違っていない。文字も正しい。

→オアアアアアアアア

 

オアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア

 

オッ

 

オアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア

 

オッオッ

 

オアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア

 

⑥我々は幸せな人生を送っている

→このブラックな現代社会において、ココロのオアシスであるところの超絶オモシロ漫画であるところの『ミザントロープな彼女』を毎月読めるのは、本当に幸せなことだなぁ。幸せだ。幸せだなぁ。ありがとう、ありがとう!

 

オアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア

 

⑦我々は前向きに生きねばならない。

→このブラックな現代社会において、オアシスは蜃気楼だ。漫画を読めなくても生きていかねばならない。それが人生だ。人間だ。社会だ。生物だ。地球だ。宇宙だ。全てはあるべきところにあり、収まるべきところに収まる。

 

⑧ピーちゃん、今日も元気だね!

→アヒルのピーちゃんは今日も元気! ピーピーうるさいゾ、まったくぅ。しょうがないやつだなァ。よしよし、ナデナデしてあげようネ。

 

オアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア

 

⑨最終巻で書き下ろしがあるらしい

広告のページにそう書いてある。うん。あと二ヶ月先に単行本が発売されるらしいぜ。二ヶ月も期間があれば、きっとすごい書き下ろしだよ。違いねぇ。

 

オアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア

 

⑩お前はそれでも生きていかねばならない

→人生は過酷だ。イニシエーションの連続だ。

→生きねば。

 

⑪オアアアアアアアアアアアオアアアアアアアアアアアアアアアアア

 

現実的な日記7

チャイムの音が鳴った。

ドアを開けると、ピーちゃんが立っていた。

「ピー、ピィピィ、ピピピッ」

 

チャイムの音が鳴った。

ドアを開けると、ピュイちゃんが立っていた。

「ピュイ? ピュイピュイ……ピュピュイ!」

 

チャイムの音が鳴った。

ドアを開けると、ピッピちゃんが立っていた。

「ピッピピッピピッピ!」

 

チャイムの音が鳴った。

ドアを開けると、白くて首が長く、クチバシが黄色い鳥が立っていた。

アフラックのCMでも見たことがあるような鳥だ。

「私はアヒルです」とその鳥は言った。

 

しかし、私はその鳥のことが全く信用できなかった。

何しろ、うちにいる3羽のアヒルとは形状が全く異なっている。

「嘘をつけ!」と私は叫んだ。

「信用してください」とその鳥は言った。「私はアヒルの理念型を体現しています。私はアヒルがアヒルであるための、あらゆる資質を備えているのです」

私は反論した。「しかし、うちにいるアヒルとは、姿形が全く異なるではないか」

「彼らは彼らでうまくやっているのでしょう。けれども」

「うちのアヒルを侮辱するか!」

私は手に持っていたアヒル・クビキリ・ナイフを振り上げ、そのアヒルと名乗る鳥の首を斜めに切断した。ガァーッという断末魔が、その生首から聞こえてきた。血も流れることなく、首と胴体はゆるやかに消失していった。

 

チャイムはもう鳴らなかった。

私はベッドへと引き上げ、3羽のアヒルと共に眠りについた。

何となく、これで平和になる、と思った。それは確信に限りなく近かった。

しかしアヒル・クビキリ・ナイフと、あの鳥との間を結ぶ、矛盾線が、確信を少しだけ遠ざけていた。

しかしこの世界に絶対は無い。私はそのことを、とことん理解しなければならない。それがイニシエーションであり、きっと今の私にとって必要なことなのだろうと思った。

ねとはとは何なのか④

ねとはとは何なのか① - ねとねとねとはのねとねと日記

ねとはとは何なのか② - ねとねとねとはのねとねと日記

ねとはとは何なのか③ - ねとねとねとはのねとねと日記

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私がモンキー伯爵からの”呼び出し”を受けたのは、あの恐怖の出来事から三日後のことだった。

下腹部の辺りがチクチクとして、最初はただの腹痛と思おうと努めたが、あまりにも痛みと痛みの間隔が人工的・意図的に感じられたため、伯爵の腕毛が遠隔操作されているのだと解釈せざるをえなかった。どうも例の剛毛が腸の辺りに食い込んでいるらしい。引っ張られるような痛みだった。

先日の去り際には、自ら会いに来るとか言っていたくせに、話が違うではないかと腹が立ったが、コロコロと言うことを変えるのが、かの人物の悪癖だったと思い出し、ため息をついてあきらめた。

 

それでは、一体どこに向かえば良いのかと思ったが、どうも痛みには”方向”があるらしいことがわかった。要するに、引っ張られる方向が一定なのだ。前を向けば前方に引っ張られ、180度体の向きを変えれば、後方に引っ張られる。伯爵と腕毛の間に、強力な引力が働いていると考えるのが分かりやすい。

痛みも少しずつではあるが強くなってきたので、急ぎ支度をし、痛みの指す場所へと足を向けた。三角測量の要領で、だいたいの距離は見当が付き、歩ける距離だと判断した。しかし、まったく、こんなわけのわからないことで三角測量の知識を使いたく無かった。

 

2kmほど歩いて到着した目的地は、廃工場のようだった。試しに周囲を廻ってみたが、チクチクの方向は明らかにこの中が正解であると告げていた。中途半端なフェンスで囲ってあり、立ち入り禁止な雰囲気を醸し出しているくせに、簡単に入り込める、雑な作りになっていた。不良の溜まり場とは、こういうところにできるんじゃなかろうかと思った。

入りやすそうな場所を見つけてフェンスを乗り越え、眼前にそびえる錆だらけの建物を見渡した。一般的な学校の体育館と同じくらいの大きさのように思えた。

やはり錆だらけで汚らしい扉が中途半端に開け放たれており、私はその隙間からそっと中を覗き込んだ。すると目の前に、かのモンキー伯爵の顔がヌッと現れたので、心臓が飛び出そうになった。同時にものすごい嫌悪感と吐き気が込み上げてきた。伯爵の口がもぐもぐと動いているので、どうも例の猿飴をほおばっているらしい。少し遅れて、強烈な腐臭が意識の俎上に上がってきた。吐き気の原因はこれらしい。だが、嫌悪感の原因は、伯爵の存在そのものだろう。

 

伯爵は開口一番「タワケ!」と唾を飛ばしながら叫んだ。私は唾を避けれず、顔面いっぱいに臭い汚水の雫を垂らすはめになった。なぜ私はこんな目に遭わなければならないのか、驚きと怒りと悲しみと怖れの感情が押し寄せてきたが、それを何とか抑え、冷静にこの現実を乗り越えようと努めた。

「伯爵、お呼びでしょうか。そして、なぜタワケなのでしょうか」

「お前が来るのが遅すぎるからだ。待ちくたびれた。もう少しで、私の腕毛でお前の腸を突き破るところだった」

伯爵の言葉を信じるならば、どうやら私の腹の中にあるのは、受信機の役目どころか、遠隔操作型の爆弾に近い代物でもあるらしい。改めて背筋が冷たくなるのを感じた。

目の前には以前と同じ、ゆったりとした格好、かつ腕毛全開の伯爵が立っていたが、そのもう少し後ろに、数人の男女が向かい合って立っているのが見えた。男女混成の4人組が、二組だろうか。緊張感が漂っている。彼ら彼女らも、私と同じように伯爵に呼び出されたのだろうか。

 

伯爵は、ものすごい勢いで笑顔を形作った。狂気と紙一重の笑顔だった。

「お前には審判を務めてもらう」

何の前置きも無しに、伯爵は唐突に言った。

「審判?」

「楽しい楽しい、異種サークル対戦の審判だ。ここには、もはや楽しさしか存在しない」

どこからどうみても、楽しげな空気のかけらも見当たらなかった。後ろにいる8人の男女が一様に示している表情は、まるで死の覚悟を決めているようにも見えた。

 

《続く》

衿沢世衣子『うちのクラスの女子がヤバい』 :レビュー(未読者向け ネタバレ無しver.)

日常と非日常の巧みなる同居

オススメ ★★★★

 

漫画を読むとき、何を求める? リアリスティックな日常? ファンタジックな非日常? その両者がこの作品には混在している。それも自然なバランスで。見事な塩梅で調和して。

 

ーーこの高校の1年1組は少しばかり特殊である。「無用力」と呼ばれる、主に思春期の女子に生じる超能力を持った生徒が集まっているのだ。その名の通り、ほとんど役に立たない能力ばかり。たとえば、とある少女はイライラすると指がイカになる。ビックリすると空に浮いてしまう女子もいれば、急に体がぬいぐるみになってしまう女子もいる。そんな女子高生たちに、クラスの男子は振り回されたり、ぜんぜん何てことのない日常を送ったり。少しばかり不思議だけれども、やっぱり青春で恋も友情もある、ふつうな高校生活を、彼ら彼女らは送っていくーー

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<"無用力" イライラすると指がイカになる少女>

昔から僕は、衿沢世衣子の漫画が好きだった。

出自としては、いわゆる”サブカル”寄りになるだろうか? 今は無き「コミックH」や「COMIC CUE」、今も有りしサブカルの極北「アックス」、等々の雑誌で描き勤しんできたのだから、漫画界の中でも、(あんまり良い表現じゃないかもしれないが、)だいぶ端っこの方に、デビュー当時は位置していた。けれど一定数のファンは付いていた、そんなイメージ。しかし嬉しいことに、ここ数年で、だいぶメジャーになってきた。

 

主に彼女が得意としているのは、女の子、それも多くは女子高生の、心の機微の描写だ。マンガ的なキャラのようで、けれども同時に何となく現実にもいそうな、ふわふわっとしたキャラクター造形は作者ならでは。その作風が確立されたのは、おそらく『シンプルノットローファー』(2009年発刊)だろう。天真爛漫な女子高生たちの、とある1クラスの群像劇で、各話ごとに1~2キャラにフィーチャーしている。何てことのない、ごく普通に個性的な彼女たちの日常の中の、ほんのちょっとした出来事の、その一瞬を、綺麗に写真に収めるかのように活写した、まるで青春のアルバムのようでもある、見事な一冊だった。

小説家で例えると、長嶋有の作風とも少し似ている。というか実際、氏の小説のカバーイラストも描いていたし、その後、当の小説「ぼくは落ち着きがない」の漫画化も担当したのだから。そのコミカライズも、息ぴったりの印象だった。

 

一方で、衿沢にはまた別の得意分野がある。Sukoshi FushigiなSF要素だ。多分一番最初は、雑誌「COMIC CUE」のドラえもん不思議道具企画の『鳥瞰少女』(短編集『おかえりピアニカ』収録で、タケコプターが題材)だと思うが、以降には、『ウイちゃんがみえるもの』『新月を左に旋回』などの作品がある。

 

たいていの作品はコメディ寄りの作風で、読後感も爽やかなものが多かった。ところが、「えっ、こんなのも描くの(描けるの)」と思ったのが『ツヅキくんと犬部のこと』(2013年)だ。原作付きではあったものの、結構リアリスティックかつシビアな内容で、ほろ苦い要素の多い作品だった。作風に幅が出てきたものだなぁ、と当時思ったのを覚えている。

 

前置きが長くなってしまったが、今作である『うちのクラスの女子がヤバい』はそんな作者の、集大成とも言える作品になっている。上記の要素を、ほとんど全部ひっくるめた、鮮やかな料理に仕上がっている。すなわち、高校生の青春群像劇で、Sukoshi Fushigiで、ほろ苦さもある。しかも、これは今までの作品ではあまり見られなかったことだが、物語の背後にある種の陰謀が見え隠れしており、伏線がちょこちょこと張られている。一本の大きな背骨が通っており、そういう意味では新境地でもある。これは彼女の新たな代表作になるのではあるまいか。

 

本作はオムニバス形式で、各話ごとに、約1~2名の女子生徒がクローズアップされる。「無用力」という題材を巧みに使い、彼女たちの”個性”が、”より個性的に”描写される。スッとした絵柄は大変好みやすく読みやすい。ストーリー展開も、もはやこなれたもの。各話冒頭から引き込まれ、ついついサラッとページをめくってしまう。そう、率直に言って、この人は漫画が上手いのだ。ほろ苦さもある、と述べたばかりだが、基本的には各話の読後は爽やかで、彼ら彼女らの青春生活が羨ましくなる。群像劇でもあるから、あの話ではメインだったあの子が、この話ではここで登場していて、そういえばあの子とあの子はよく一緒にいるなぁ、とか、ごく自然に頭に入ってきて、何だかこのクラスが他人事では無いようで、愛おしく感じさせてくれる。この塩梅も実に上手い。

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<"無用力"あれども、皆、ふつうの青春を送る高校生なのである>

現在は既刊2巻で、そろそろ春には3巻が発売される頃合いだ。ググれば多分、第1話の試し読みはできる(2/18現在、pixivで読める)。

作風が作風だけに、幅広い層に勧められる漫画だと思う。ぜひ、ご覧あれ。