ねとねとねとはのねとねと日記

現実と想像とマンガ

ミウラタダヒロ『ゆらぎ荘の幽奈さん』 レビュー:(未読者向け ネタバレ無しver.)

侮れない・舐められない

オススメ ★★★☆

 

箸休め的にこの漫画のレビューをしておこう。

一応言っておくと、もちろん、天下のおジャンプ様お抱えのご漫画様であるところのラブコメである。どうせジャンプの中でのエロ担当枠だろう、とか、そこのあなた、舐めたりしていませんか。

もちろん、良い子のみんなは、分かってるよね。え? 分かってない? ToLOVEるのまがいもの? ニセコイの後釜? 単なるエロ枠? おいおい、ポンド砲をぶち当てられる覚悟があるのかよ。

もちろん全然ちがいますよね。似て非なるアナルという言葉は有名ですが、それにも当てはまりません。似ず非なるアナルです。

真の良い子のみんなは分かってること、おじさんは知っているよ。おじさんは、そんなみんなの味方だよ。

じゃあこれから、みんなが何となく理解していることを、言語化していこうね。

『ゆらぎ荘の幽奈さん』がいかに優れた漫画だということをな……。

 

「幽奈さん」は、約1年前にジャンプ本誌での連載が開始された。

当初から割と安定した掲載順位をキープしており、一時は掲載順位2位にまで昇りつめたこともある。現在もまずまず安定しているようで、打ち切りの心配は無さそうだ。他にラブコメ枠が無いというのも大きい。『ラブラッシュ!』も蹴落としたし(それに関しては許さん)。どうやら世のボーイ&ビッグボーイたちに支持され続けていることが窺える(ガールの反応はわからん)。

 

さて、僕自身はというと、連載開始直後は「おいおいまたアパート型エロハーレムクソ漫画のお始まりかよ」と思ったものだった。

画力の向上は見て取れたが、前作である『恋染紅葉』の微妙っぷりは払拭できていなかったし、展開のお約束感が「ああもう見ちゃおれん」状態であったのだ。第一話のステレオタイプ的風圧には吹き飛ばされそうになったし、コリャもう打ち切り待ったなしやな、と思った。まぁ20週くらいかなぁ、、、と。

ところが、連載が進むにつれてキャラの個性が発揮され出してから、徐々に(僕の)見る目が変わってきた。

 

一つ、主人公である冬空コガラシがふつうにカッコいい。昨今しばしば少年誌で見かけるラブコメの、エセ優しいだけで何故かモテてしまう主人公とは一線を画している。優しいだけではない、これはちょっと惚れてまうやろォていう説得力がある。颯爽とした思いやりに溢れている。僕が女子だったら確実に惚れてまう。断言しよう。彼はまさしく、漢なのだ。

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<ふつうにカッコいい>

二つ、ギャグがサムくない。この部分に関しては受け止め方に個人差はあると思うが……古臭くないのは間違いないと思う。漫画におけるギャグの成功と失敗は、間の取り方などはもちろん、漫符一つの違いでも結構変わってくる。作者はそのあたりのバランス感覚に長けているらしい。場面場面のボケとツッコミが機能している。そしてこれは一話完結型の本作において、毎話のメリハリの良さに関わってくるのだ。

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<好みの問題もあろうが、たぶん『ニセコイ』とかだと余計に漫符を使ってサムくなる>

三つ、女の子たちも各々キャラが立っており、主人公不在でも話が成り立ちやすい。”主人公はバイトに忙しい”という設定の助けもあったりして、ほぼ女の子たちの掛け合いだけで完結しているストーリーがちょこちょこある。それでもうまく一話を回せているのだから、キャラごとの役割分担が成功しているということなのだろう。

四つ、特に表情の描きわけに関する画力が高い。表情だけで読者に訴えかけるものがあるのだから、当然、その技術はセリフ回しをスッキリさせることにつながり、可読性が向上する。それに、単純な話、眺めているだけでも楽しいし可愛い。

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<表情のバリエーションが豊富なので見てて飽きない>

その昔、ニセコ…ウッ頭が、というクソクソ漫画がジャンプに掲載されていたが、かの作品は、主人公は優しさのペルソナをかぶったその実ウンコ以下の邪悪な性格をしていたり、ギャグがわりあいサムかったり(悪くない時もあったのだが)、女の子はかわいいものの、今思えばなんで女性陣が仲良くやっていたのか不自然なところもあったりして、ほんまにあの漫画は…ウッ頭が。

まぁそんな話はどうでも良い。

 

そういうわけで、『ゆらぎ荘の幽奈さん』は結構侮れない漫画だったりするわけなの。まとめると、魅力的なキャラの掛け合いが面白いわけなの。だから僕はランキングに入れたんだな。ジャンプ買ったらとりあえず「幽奈さん」を読んでしまう僕は、決してキモくないわけなんだな、これはな。

最近のホニャララな展開も巧いし、もう目が離せないんだな、これがな。

良い子のみんなはもちろん、悪い子のみんなも、わかってくれたかな? (群衆がひれ伏すイメージがねとはの脳裏によぎる)

うむ。よろしい。

 

 

 

 

脇田茜『ライアーバード』 レビュー:(未読者向け ネタバレ無しver.)

未熟な青年と少女の、歌とギターを通じた成長譚 <ボーイミーツガール>

オススメ ★★★★

 

巷には音楽をテーマとした漫画が山のようにある。

それらの多くの作品は、仲間との絆や周りからの評価を得て、少しずつ大きな世界に羽ばたいていき、結果的にはそういった"インフレ"を基調とした成長譚となる。

それが音楽やバンドを題材とした物語の宿命となる、というパターンは数多い。

しかし、この漫画は、それらのパターンからやや外れる。

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<画像:"音楽喫茶 ライアーバード">

「選んだのは3つ  ギターと音楽と  ライアーバード」

孤高を望む青年・ヨタカは、バイトとバンドの助っ人の生活に明け暮れる、その傍らで、彼が愛する音楽喫茶「ライアーバード」へと通いつめる。憧れの対象であり、心を許すただ一人の存在である、”マスター”に会うために。

ギターと音楽、そしてライアーバードさえあれば、それで良いと思っていた。マスターの他の誰にも心を許さず、世の中を見下していた、そんな彼が、ある日一人の女の子と出会う。天真爛漫で、かつ野生児のように傍若無人な少女・コト。しかし彼女は、とある天性の才能を持っていた。一見正反対な性格の二人は、互いに反発しあうのだがーー

 

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<画像左:他者に興味を示さないヨタカ 画像右:天真爛漫なコト>

この作品は昨年度のランキング2位に入れたマンガで、やはり物語としてのかなりの強度を誇っており、かつ必要十分以上の高い画力も見逃せなかった。

こいつは、恐らくは凄い高みまで到達するだろう、第一話を読んだだけで、そう予感させる力があった。

なお、”漫画トロピーク”の全体のランキングでも第4位にランクインしている。

が、他のランキング媒体では不思議とほとんど話題に上っておらず、非常に残念である。なぜこんなにも素晴らしいマンガが?

1巻と2巻の(同時)発売日が昨年(2016年)の10月13日であったため、時期としてやや不遇であったのも、もしかしたら要因かもしれない(好意的解釈)。

 

キーワードは「音楽」と「ボーイミーツガール」。

それなら『BECK』とかでも読めば良いじゃないかって? いいや違う、冒頭で述べたように、それらとは全然テーマが異なるマンガである。

 

舞台は京都。鴨川近辺の風景が、背景として思いきり出てくるし、物語の舞台装置としてもちょくちょく機能する。

この点に関しては、ちょっと個人的な思い入れが強い(僕は京都で約10年間過ごしたし、今でもゆかりがある)ので、それを無視できない加点要素があるのは事実だが、それを差し引いても素晴らしいマンガだと思う。

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<画像:鴨川と三条大橋>

まず読者の目を惹きつけるキャラクターは、おそらくヨタカではなく、コトだろう。彼女は非常に魅力的な存在として描かれる。ヨタカの非社交的で憎まれがちな性格に対して、彼女の純朴で素直な性格は際立っている。多くの読者は彼女を好意的にみるだろう。しかしそんな彼女にも大きな欠点がある。純粋過ぎるがゆえに、歯に衣着せぬ物言いも多くなってしまい、結果、社交的に努めるもののうまくいかず、結局は対人関係がうまくいかない、という不器用さである(この対人関係が下手くそであるという点に関して、ヨタカと共通していることは注目すべきことである。一見正反対にみえる二人には、無視できない共通点があるのである)。

そんな彼女の不器用さすらも、読者からは愛らしく映ることだろう。そうした魅力的な性格を背景として、この物語最大のキーポイントでもある、彼女の天性の才能がさらに読者を惹き付けるのである。すなわち、彼女が共感覚の持ち主であり、音を視覚的に捉えることができるということ、そして、一度聞いただけの音を、完璧に再現することができる、という才能である。

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<画像左:音が視覚的に"見える"  画像右:一度聞いただけの音楽を再現> 

このチート級の天才描写が、圧巻。音の視覚化の表現が素直に素晴らしいのである。この要素だけでも、一見の価値は十分にある。

 

一方で、ヨタカにも卓越したギターの技術がある。それはひとえに、彼の努力の賜物であり、天才であるコトとはこの点は対比して描かれる。そして我々読者が感情移入をしてみる主な対象は、結局のところ、天才で浮世離れしたコトではなく、ヨタカである。彼は主人公である。

 

そういったキャラクターたちの、要素要素を総合的に包み込んでいる全体のストーリーは、とどのつまり、ボーイミーツガールである。

正反対でありつつも、同時に似た者同士でもある、ヨタカとコトの二人は、互いに互いを補完する存在として、物語は動き始める。

 

さて、これ以上のネタバレは本稿では避けよう。

冒頭から魅力に溢れている物語だが、ボーイミーツガールとしてのストーリーは、今後、少しずつ加速していく。

現在、既刊は2巻。是非、皆さんと共に、この物語の行く末を見届けたいと願う。

 

なお、この作品も試し読み可能である。コミックリュウの公式サイト(http://www.comic-ryu.jp/_lyrebird/)でも第一話を読めるし、今のところpixivでもその続きを読めるようになっている。まずはご覧いただけたら、と思う。

 

(ちなみに、下のamazonリンクの表紙画像を見て察して頂きたいのだが、そもそも表紙からして作者の力量が溢れ出ているのを感じて頂けるだろうか。ときどき、表紙を見ただけで、この作品は面白いだろう、と予測できる場合があるが、本作もそれに当てはまるものであった) 

ライアーバード 1 (リュウコミックス)

ライアーバード 1 (リュウコミックス)

 

 

ライアーバード 2 (リュウコミックス)

ライアーバード 2 (リュウコミックス)

 

 

厘のミキ『ミザントロープな彼女』:詳細レビュー <第10話を中心に> (既読者向け ネタバレ有りver.)

<未読者はこちらをどうぞ 厘のミキ『ミザントロープな彼女』:レビュー (未読者向け ネタバレ無しver.) - ねとねとねとはのねとねと日記

 

本稿は、第2巻までの既読者向けである。未単行本化分については触れていない。

ここでは、物語の大きな転換点となる、2巻末に収録されている第10話を中心とした考察を行いたい。先のネタバレ無しのレビューでも少し触れたが、第10話はかなりの技巧が凝らされており、この演出が、ヒロインである花実の心情の変化への説得力へと繋がっているのである。

 

さて、第10話を考察する前に、物語の小転換点であった第5話(第1巻末収録)にも触れておく必要がある。

このエピソードは、なぜ、花実が人間嫌い”ミザントロープ”へと至ったかが初めて具体的に説明された、重要な回である。この話を通じて、花実が単なるへそ曲がりな性格なわけではなく、父親に関するトラウマが元となり、歪んでしまったということが示されている。さらに言うと、小千谷蘭のセリフにもあるように、花実が強迫的なまでに純粋な性格であるということも描かれ、かつ、小千谷はそのことを最初から看破していたであろうことまで暗に示されている。

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<画像:このシーン以前より、小千谷は花実の真の気持ちを看破している>

花実は、他人との重い関係を避けている。それは、かつて自分が父親を裏切ってしまったと思い込んでいるがために生じた、彼女のトラウマに起因している。

表面的な取り繕いとして、父親が現在孤独なことは断じて自分の責任ではない、と思おうと努めている。が、実は心の奥底では、自分の責任にしてしまっている。

そしてまた、”他ならぬ小千谷蘭に触発されて”自分の本当の気持ちを吐露している、ということが重要なポイントである。

自分が他人を傷つけてしまうことを恐れているがために、孤独を率先して望んでいるのだということが、このエピソードで読者に示されるのである。

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<画像左:表面上の思い 画像右:心の奥の吐露>

この第5話が、花実の変化として重要な第1段階の突破、すなわち自身のトラウマの表面化の成功である。

しかし、まだ花実の中には壁がある。それは、”まだ自分は孤独を望んでいる”という点である。この第二段階が突破され、花実のトラウマが真に昇華されるのが、第10話というわけである。

 

また、この第5話から第10話への伏線として、”涙を見せたがらない”という点も重要である。第5話においては、小千谷に対して自分の涙を見せたがらない。花実と小千谷との関係性の変化への、明確な伏線となっているので、注目しておく必要がある。

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<画像:涙は見せたがらない>

そして問題の第10話。このエピソードは、表面的には、夏祭りを通じて、花実と小千谷との関係性が深まる、というお話なのだが、その裏には強烈な技巧が凝らしてある。その解説を行いたい。

 

まず冒頭で、花実の心情の吐露、「父を差し置いて、自分だけが幸せになるわけにはいかない」という、第5話を踏まえたシーンがある。彼女の(第二の)壁を提示していると同時に、小千谷と関係を深めることが自身の幸せに繋がると心の底では勘付いていることが示されるシーンである。

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<画像:"自分だけ幸せになるわけにはいかない">

その後、友人と母親の助力もあり(ちなみに彼女たちは物語中の援助者としての機能を果たしている)、小千谷と二人で夏祭りに出かけることになる。

始まりの時点では、やはり小千谷と二人でいると、楽しむことができる(幸せになれる)ことを自覚する花実。しかし同時に、やはりその幸せに甘んじることはできない、と、自ら手を離してしまう。

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<画像左:一瞬幸せを自覚するが、我に返ってしまう 画像右:そして"幸せ"から自ら手を離してしまう>

そして、再び、孤独の時間が始まる。ここからのシーンは二重の意味を帯びる。すなわち、表面上は夏祭りの独り夜行。が、真の意味合いは、自身の人生の反芻と試練である。

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<画像:この瞬間から"お祭り"と"花実の内面"が融合する。現実で祭りの喧騒が「シン」となるはずが無い>

独りになった花実は、やはり孤独であることが宿命であると思い込もうとする。が、直後に、小千谷からの声がかかり、一歩足を踏み出すことになる。

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<画像:小千谷からの吸引力に、引き戻され始める花実>

このシーン以降、コマの中での、花実の左右の向きが重要な意味を持つ。すなわち、左向きが、前向き・前進などの意味を表し、右向きが、後ろ向き・後退などの意味を持つ。(なお、ご存知の方は多いと思うが、基本的に日本の漫画は右から左に読むように作られているため、読者の視線の向きに応じて、左向きが前進、右向きが後退、の意味を表すことが多い)

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<祭りのシーン中、ほとんどのコマで花実は左向きになっている>

小千谷と離れ離れになった花実は、小千谷の元へ行こう、という気持ちが少しだけ湧く。

一歩前進した花実がまず出会うのは、これまでの話で出てきた、モブ的な不良である。彼らは花実にとってほとんど関係の無い、その他大勢の象徴であり、あまり大きな意味はもたらさない。

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<画像:その他大勢の象徴>

が、直後に、花実に迫るもう一人の存在、青木が現れる。青木はしかし、花実の救済となる存在にはならない。なぜなら、青木は自分のことが第一で、花実のことを想う気持ちに乏しいからである。そのため、花実は青木を振り切り、小千谷の元へとまた一歩、前進する。青木は自己愛の象徴である。

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<画像:青木が見ているのは自分自身だけで、花実のことは見ていない>

その次に出会うのは、クラスメイトである溝口。彼は人畜無害な人間として描かれているが、自身の弟と妹と共に過ごしており、この場では家族を大事にしていることが窺える。彼は家族愛の象徴として機能しており、花実を気遣う姿勢は見せるものの、彼もまた、彼女の相手役とはならない。

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<画像:彼が大切にしているのは、彼自身の家族である>

そして次に現れるのは、彼女の友人である、遠山である。遠山は最初「たこ焼きを食べよう」などと言って、花実を誘う。花実は「…分かった」と、この道が正しいのか疑問に思いつつも、右向きに”後退する”。すなわち小千谷から遠のき、自分を想う友人へと向かおうとする。しかし直後、男好きの遠山は花実の元から離れてしまう。遠山もまた、花実の相手役とは成りえない存在であったことが示される。遠山は”男好き”の象徴で、花実のことを直視していない。

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<画像:一瞬、友人に誘われ後退する花実>

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<画像:しかし直後、遠山は男にしか意識が向かなくなる>

遠山から離れた花実は再び、左向きに前進する。しかし、ここで、花実の前に岐路が立ち現れる。道が二つに分かれており、どちらに向かえば良いのかが分からない。

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<画像:道は左右に分かれている>

この場面で、援助者が現れる。すなわち、小千谷の弟である。彼は彼女に、行くべき方向を指し示す。彼は門番の役割を果たしており、彼女はここで、身内からの”許可”を得て、小千谷の元へ向かうことになるのである。

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<画像左:初め彼女に挑戦的な態度を取る弟 画像右:しかしその後、道を与えてくれる>

最後に彼女に試練が訪れる。彼女の前には人の壁が立ちふさがり、前進することが難しい。彼女は、一度あきらめかけ、右向きに後退する。

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<画像:障害に阻まれ、一度は諦めかけ、右向きに後退する花実>

しかし、花火の音を契機として、思い直す。小千谷はきっと待っている、これまでに彼との間に培われてきた関係性を思い返して、彼だけは彼女を想う存在であると、確信する。そして彼女は、自分自身の力で、人の”壁”を突破する。

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<画像左:"見上げる"という表現も"希望"を表していると思われる 画像右:最終的には自分の意志の力で試練を突破する>

そして、とうとう、彼、小千谷蘭との再会を果たす。

表面的には、お祭りの中を歩いて進んでいただけである。しかし、既に述べたように、真の意味は、彼女の人生の反芻と試練である。ちなみに、この再会のシーンで、小道具として、花実の髪留めが落ちる。すなわち”つきもの”が落ちるのである。

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<画像:下に落ちる輪っかの"髪留め"にも注目>

小千谷から「寂しかった?」と訊かれる花実。彼がここで口にした言葉は、単に祭りの中、独りで寂しくなかったか、という一重の意味でしかない。

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<画像:彼の意図としては、深い意味での問いかけでは無いと思われる>

しかし、対する花実の回答は、二重の意味を持つ。「なんかずっと大丈夫だった」という言葉の真の意味は、彼女の人生についての深い深い思いが込められているものであった。すなわち、これまでの人生では独りで”なんか”ずっと大丈夫だった。”なんか”やってこれていた。しかしその裏側に込められた思いは、やはり独りでは”寂しかった”ということに他ならない。

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<画像:彼女の目の作画からも、話されているのは深い言葉であることが読み取れる>

その後、花実は小千谷に抱きかかえられ、高台の神社へ辿り着く(ちなみに、高い場所へ移動することは、ステージアップとしての”成長”を象徴する場合が多い)。

そしてここで花実は、小千谷から、彼女が必要な存在であることを説かれる。小千谷こそが、彼女の真の望みの対象であったことが、ここで明確に示される。小千谷が示す象徴は、もはや明らかである。

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<画像:彼女は初めて人に必要とされる>

だからこそこの場面で、花実は涙を流す。第5話では見せたがらなかった涙を、小千谷の目の前で流す。

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<画像:涙を流すことを、隠そうとしない>

改めて、彼女は進んで孤独になりたかったわけではなく、孤独に”ならないといけなかった”と強迫的に思っていたことが示される。

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<画像:それまでの彼女に宿っていた、深いトラウマ>

けれども、彼女の目の前に現れた存在、変人のストーカーと捉えていた小千谷こそが、彼女にとって、絶対的に必要な存在だったことが、この夏祭りの数々のシーンを通じて彼女にも、読者にも、明らかにされた。

 

だから花実は、心の奥底にあった、彼への愛情に気付き、最終ページで吐露するのである。

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<画像:これまでの演出により、この最後のシーンに強い説得力が生まれている>

何度も言うが、この第10話は上記で解説したように、非常に完成度が高い。漫画的技巧や細かい演出、これまでのエピソードに登場した人物が示す象徴など、集大成的な話となっている。

精読すると、全てのコマに無駄が一切無く、感嘆するほか無い。

以上の考察は、何気無く読んでいても、たぶん、何となく読者に理解されるように、自然に作られている。しかし言語化してみると、かように驚くほどの技術が詰まっていることがわかる。物語上の大きな転換点となるこのエピソードを、強い力で支えているのである。

 

さて、本稿においては未単行本化分に関しては触れていないが、実際このエピソードが転換点となり、現在新たなる展開へと突入している。率直に言って、めちゃくちゃ面白い。

また今回のように解説したいと思っているが、これだけの考察のしがいがある作品。やはり傑作である、という言葉で、本稿を結んでおこう。

 

ミザントロープな彼女(1) (アフタヌーンKC)

ミザントロープな彼女(1) (アフタヌーンKC)

 

 

 

ミザントロープな彼女(2) (アフタヌーンKC)

ミザントロープな彼女(2) (アフタヌーンKC)

 

 

厘のミキ『ミザントロープな彼女』:レビュー (未読者向け ネタバレ無しver.)

異色ラブコメの傑作

オススメ ★★★★★

 

<本稿は未読者向けです。2巻までの既読者はこちらのレビューをどうぞ  厘のミキ『ミザントロープな彼女』:詳細レビュー <第10話を中心に> (既読者向け ネタバレ有りver.) - ねとねとねとはのねとねと日記

 

傑作である。

昨年、ダントツで面白かったので、ランキング1位とさせて頂いた。しかも、連載でも追っているが、現在進行形でなお面白い。我々(漫画トロピーク)の作成するランキングにおいては、二年連続して同じ漫画をランクインさせることは、なるべく避けるようにする、という暗黙の了解があるのだが、このままだと僕はその禁忌を犯してしまいそうなくらい(つまり今年もランキングに入れてしまいそうなくらい)、面白い。

 

ジャンルは「ラブコメ」。

皆さまにおいては、恐らくこれまでの人生で、数多のラブコメ漫画を読んできたことと思う。ラブコメといったら、大体こういうもの、というステレオタイプみたいなものが各人に形成されていることと拝察する。僕もそうである。しかしこの漫画はそのようなステレオタイプとは一線を画す。ものすごく”クセが強い”。作者である「厘のミキ」(旧:凛野ミキ)は、クセの強い漫画しか描かない。

だから、合わない人にはたぶん、全然合わない。誰に感情移入したら良いのか分からなくなると思う。しかし、合う人には恐らく、抜群に合う。そしてその合う人に、このマンガを、手にとって欲しいのだ。

 

簡単な筋書きはこうである。

人嫌い(ミザントロープ)の女子高校生「末代花実」は、できるだけ他人との関わりを避けて過ごしていた。他人との重たい関係を避け、かといって目立つほどに孤独となるのも避け、ほどほどに、目立たず、空気のような存在を目指していた。そんな花実の目の前に突如現れたのは、イケメン/恋煩いストーカー男子の「小千谷蘭」。花実の願望を無視してぐいぐい踏み込み、小千谷は猛アタックを仕掛けてくるのだがーー。

 

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粗い筋書きだけをみると、まるで少女漫画の基本スタイルのようだ。地味で目立たない少女に、イケメン男子がグイグイ踏み込んでくる。けれども違う。そういったアレとは、決定的に、違う。

 

まず、掲載誌はご存知「good!アフタヌーン」。漫画読みが最大公約数的に好む雑誌・アフタヌーンの姉妹誌。最近(少し前?)では『亜人』がヒットを飛ばしている。基本的にはややサブカル寄りの青年誌とみて良いと思われる。

 

そして作者である「厘のミキ」。彼女はこれまで、猟奇的、グロテスク、サイケデリックな印象を持つ作品を描いてきたことで知られている。

『落下傘ナース』という7年前の作品(全2巻)では、美少女が人体をさわやかに着こなしていたシーンが思い出深い。

『光』という、残念ながら途中で打ち切られた10年以上前の作品(全4巻)では、デスゲームに巻き込まれた高校生たちが徐々に狂気に包まれていく様を、読者への距離感ゼロでブチ込み、遠慮無用で、不気味に描き出していた(あまり他に類を見ない、ある種の面白さがあったが、僕はこれを読んで、しばらく気が滅入った)。

作中の道徳観をほぼゼロに近づけることで、人間の欲望や、人と人の関係性を極限的に露出させる妙手を持つ作家。グロとギャグを漸近させ、読者に引きつった笑顔をもたらす捻くれ者の作家。比較的マイナーな人だとは思うし、物語半ばで連載終了してしまった作品も数多いと聞く。けれども意外とキャリアはそこそこ長い(20年近い)、そんな漫画家だ。

 

そんな掲載誌と作者で、ふつうのラブコメが和やかに展開されるわけが無いし、実際そんなわけが無かった。本作もやはり我々が抱いている道徳観や常識はどこかに吹っ飛んでしまっている。ラブコメの"コメディ"という言葉で処理して良いのか怪しいくらいに。

たとえばヒロインですら、屋根から落ちてきた男の子を、家の敷地内で死んでしまったら不動産価値が落ちてしまうからと、敷地外にズラそうとするし(誰もツッコまない)、"友達"をナチュラルにお金で買おうとするし(誰もツッコまない)。相手役の小千谷蘭も、ストーキング相手の屋根の上で何日間も寝泊りするし(そこで毛布を貸してあげるヒロインが優しい)、風邪を引いたヒロインの尿検査を行うがために使用済み便器ににじり寄るし(さすがにヒロインは抵抗する)。

 

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とにかくキャラクターの行動や会話のアクが強いので、このあたりに抵抗があると、残念ながら素直に本作を楽しめないと思う。が、この世界観に慣れてしまえば、これら非常識の壁の向こう側にある、彼ら彼女らの極めて純粋な思いに我々読者は感動することになるだろう。

"コメディ"のベールで見えづらくなっているが、それを丁寧に払いのけて見通してみると、その実、キャラクターの行動原理はとても美しいことがわかる(個人的にはこの点、故・小路啓之氏の作風に近いものを感じている)。

 

なぜ、ヒロインは人嫌いになってしまっているのか。そもそも、本人が口にしている通り、本当に人嫌いなのか。この物語は、多くのボーイミーツガールを謳う作品がそうであるように、ラブストーリーであると同時に、互いが互いを補い、高め合う、成長譚でもある。そして本作が他作品には無い面白さがあると、僕が主張する理由はこの部分にある。

 

ヒロインである花実には、家族に関わる、とあるトラウマがある。言ってしまえば、そこまで珍しいエピソードでもないのだが、"彼女にとっては"大きな傷跡になってしまっている。彼女なりの強迫的なまでの純粋さのせいで、深くこのことに囚われてしまっているのだ。そしてこの物語において、彼女がトラウマから解放されるために必要な解答は、結局のところただ一つしかなかった。それが、この物語のヒーロー・小千谷蘭。変質者一歩手前の変人ストーカーである彼であった。そして彼で無ければならない必然性が、しっかりとした強度で作中で描かれている。

これ以上はネタバレに踏み込んでしまうので書かないが、この補完性が本当の意味で理解された瞬間、大きな感動が生まれるのだ。

 

2016年末現在、2巻まで刊行されているが、意外と物語(二人の関係性)が進展するスピードはそれなりに早く、飽きさせない。

個人的には、第2巻末の掲載話(第10話)が、漫画の演出として圧巻の完成度を誇っているため、是非注目頂きたい。具体的には、花実が進む方向(右・左)や、彼女が出会う人物たちが表す象徴、そして終盤に花実が語る二重の意味を持つ重い言葉、などを味わって欲しい(これらについては、改めて既読者向けの別稿で解説する)。

 

単行本収録話以降も、現在進行形で、物語の面白さはどんどん加速していっており、また新たな展開を迎えている。話の軸は全くブレておらず、恐らくは物語の結末も既に決定されているものと思われる。それはひとえに、作者の描きたい哲学が確立されているがためであろう。僕の今の予想としては4巻で完結になるのだろうと思っているが、是非、氏には最後まで描ききって欲しい。そして、本稿の読者の方々にも是非この作品を知って頂き、読んで頂きたい。

Webで第1話だけ試し読みできる(http://afternoon.moae.jp/lineup/569)ので、このアクの強さでも問題無ければ、ひとまず1巻の最後まで読んでみて欲しい。上記まで私がレビューを書いた理由がお分かり頂けることと思う。多分。

 

しかし、このような他に類を見ない面白い漫画を描いてくださる厘のミキ先生には本当に頭が上がらない。先生、本当にありがとうございます。心より感謝いたします。

 

ミザントロープな彼女(1) (アフタヌーンKC)

ミザントロープな彼女(1) (アフタヌーンKC)

 

 

 

ミザントロープな彼女(2) (アフタヌーンKC)

ミザントロープな彼女(2) (アフタヌーンKC)

 

 

ポール教授の興味深い一日

ポール教授はもちろんパジャマを着て寝る。少々独特なのは、フワフワ帽子もかぶっていることだろう。このことに特に意味は無く、幼い頃からの習慣だ。

昨晩も教授は自室のベッドで熟睡していた。が、突如覚醒した。脳裏に熱いマグマが滾った。そのマグマとは、「なぜ風邪の時に、アナルにネギをぶっ刺すのか」という観念だった。その夜、教授は全く寝付けなくなってしまった。頭から離れなかった。他の物事は全く考えられなかった。他の観念に勝ってそのことしか考えられなくなる、そういった観念を、”優格観念”と呼ぶ。教授は夜中の間、苦しみ続けた。答えの出ない問いに悩むことほど、残酷なことは無い。我々は教授に同情しなければならない。

 

結局教授は、眠れないままに、普段通りに大学に出勤した。彼には一つの目論見があった。一人で解決できないことは、皆で解決すれば良いではないか、と。

一時限目、早速教授は学生たちに向かって講義を始めた。

「皆、今日は一緒に考えてもらいたいことがある。皆も一度は疑問に思ったことがあるだろう、民俗学的難題だ。『何故、風邪をひいたときに、ケツの穴にネギを刺すのか』。私は昨晩非常に苦しんだ。この苦しみを、今、皆に分かち合ってもらいたい。そして、諸君から、実のある解答を頂きたい。どうか、私を助けてもらいたい。なぁ、菊池君」

菊池と呼ばれた女学生は肩をビクッと震わせた。

「菊池君。なぜアナルにネギを刺すのか、優秀な君なら、答えを弾き出せるのではないかね?」

菊池京子は、顔を赤らめ、震えるような声で答えた。

「あのぅ…その……わかりません…」

「すぐにあきらめるなど!」

教授は叫んだ。

「私は昨晩、何時間もの間、独りで悩んでいたというのに。君はものの数秒であきらめるのかね、ええ? 菊池君。考えたまえ。さぁ、さぁ」

菊池京子はうつむいてしまい、目に涙を浮かべた。

「考えておきたまえ。それでは加藤君、キミはどうかね?」

加藤と呼ばれた男子学生もまた、全身をビクつかせた。しかし、彼は毅然とした眼差しを教授に向け、答えた。彼は”逆境の加藤”の異名を持つ、学内のごく一部で恐れられる存在であった。

「ネギには栄養があります、教授」

「なんだと?」

加藤は教授を睨みつけた。

「人間は普通、口から栄養を摂ります。しかし、風邪で吐き気があったり、食欲が無いとき、例外的に口からものを食べられないときがあります。そういうとき、先人は考えたのです。口から入らなければ、ケツから入れれば良いじゃないか、と」

「それくらいは私も考えた」

教授はため息をついた。

「しかし、意見を表明することは大事だ。ではさらに質問だ。なぜ、ネギである必要があったのかね?」

このタイミングで、女学生・菊池京子は、涙を流しながら、無言で教室を出て行った。他の生徒は同情するような視線を送ったが、教授は気にも留めなかった。

”逆境の加藤”は続きを答えた。

「タマネギがケツから入ると思いますか? 教授」

「なんだと?」

「タマネギはどうねじ込もうと思っても、普通は入らない。ニンジンならどうか? 途中でつっかえます。キャベツは? 白菜は? 全部無理です。だからネギなのです」

「まずまずの回答だ、加藤君」

教授は機嫌良く答えた。

「しかし加藤君。ニラならどうなのかね?」

「ニラですか……」

「水菜は? もやしは? かいわれだいこんは!?」

「それは……」

「どうなのかね?」

加藤は逆境を跳ね返しきれなかったらしく、あきらめたように答えた。

「ニラはアナルに入ります……」

「バナナはおやつに入ります、みたいな口調で言うんじゃない!」

教授は激昂した。

「バナナはおやつに入らないのだ! 同じように、ニラもアナルに入っては困るのだ、加藤君! 入るのは、ネギだけでなければならないのだ!」

教室中の生徒達は、ざわつき始めた。変わり者の教授だとは思っていたが、なぜここまでネギとアナルの関連性について躍起になっているのか、さっぱりわからなかった。そもそも教授自体が答えがわからないと言っているのに、生徒に納得のいく解答を期待するなど、自分本位にもほどがある。

加藤は肩をすぼませ、うつむいた。教授は言った。

「しかしまぁ、加藤君は奮闘してくれた。では、七瀬君。君はどうかね」

七瀬と呼ばれた男子学生は立ち上がり、丸メガネをクイっと中指で持ち上げた。”風雲の七瀬”の異名を持ち、特に誰にも恐れられもしていない出っ歯の中肉中背の男は、自信を持った声で答えた。

ダーウィンの進化論です」

「なんだと?」

教授はたじろいだ。これまで目にしたことのないオーラを、”風雲の七瀬”は放っていた。周りの生徒も気圧された。

「人間は、適応したのです、ネギに。わかりますか? ポール教授」

「ううむ……」

教授は腕を組み、悩んだ。

「すまないが、説明を頼む、七瀬君」

「仕方ありませんね」

七瀬は調子に乗り始めた。ここが自分が初めて輝く大舞台であると認識した。

「簡潔に言うと、ネギとアナルの大きさが適合しない人間は、絶滅したのです、教授」

「なんだと?」

「古代人に流行った風邪の中には、アナルからネギを摂取しなければ治らない、恐るべき病があったに違いないのです、教授。古来、様々なアナルの大きさを持つ人間たちがいたのでしょうが、細いアナルに適合するようなニラでもダメ、太いアナルに適合するような、タマネギでもダメ。ネギの大きさに見合う、ちょうど良い大きさのアナルの人間だけが、生き残ったのです。だから我々のアナルの大きさは、ネギの太さと、良い感じなのです」

「七瀬君!」

教授は手を叩いた。

「君は…君は、ついにやったな。これが…カタルシスか……。七瀬君、君という男は……」

教授は嗚咽し、涙を流し始めた。

「ありがとう、ありがとう、七瀬く…」

その時、教室の扉が開け放たれた。警備員を先頭に、事務員、菊池京子と、続いて教室に入ってきた。

事務員が言った。

「ポール教授。セクハラの報せを受けてやってきました。彼女の話は本当でしょうか? 数学の教授であるはずのあなたが、今現在、アナルとネギについての講義を行い、あろうことか女子生徒に詰問したというのは」

涙を流し続けていた教授は、突然の闖入者に怒り、反駁した。

「学問だ!」

教授は叫んだ。

「学徒は、いついかなる時も、探究心を忘れてはならない。それがアナルとネギの関連性であってもだ!」

「彼女の話は本当だったようですね」

事務員は淡々と答えた。

「続きは別室で聞きます。付いてきて下さい」

「まだ講義は終わっとらん!」

「警備員の方々、お願いします」

屈強な警備員二人は、教授の左右に付き、脇に手を入れた。

「放せ!」

警備員と事務員は無視し、教授を教室の外に運んでいった。菊池京子は涙目で後ろから付いていった。

「探究心を! 探究心を忘れるな!! 探究心を!」

教授の大声はしかし、徐々に教室から遠ざかっていった。

教室には、平穏が訪れた。

”風雲の七瀬”は、この事件以来も、特に誰からも評価されることは無かった。

ポール教授の講義はその日以来無くなり、代わりに別の数学の教授が来るようになったという。