思春期のUFO
「こんな大金、うちには無いわよ!」
帰宅したばかりの父を前にして、紙切れを持った母が喚いている。
「でも、悪気があってやったわけではないんだからさ…」
まだスーツ姿から着替えてもいない父は、うんざりしたように反論する。けれど会話は噛み合っていない。
「どこからこんなお金出すのよ!」
UFOである僕にはどうすることもできず、僕のせいで喧嘩になっている二人を、ただただ、黙って横で眺めていることしかできなかった。だってUFOが謝ったって、仕方ないじゃないか。それに僕だって知らなかった、人って死んだらUFOになることもあるってこと。
数ヶ月前にUFOになってからというもの、体の動かし方がよくわからずにいて、あっちこっちにぶつかって小さな事故を起こしてばかりだった。そしてとうとう、先日大事故を引き起こしてしまい、今日、膨大な額の請求書がうちに届いた。
母も、父も、僕を責めない。死人を、UFOを、責めたって仕方が無いって思ってる。怒りの矛先をどこに向けたら良いのか、わからずにいる。
「もう嫌よ! どうしてこんなことになったの…」
母は泣き出し、父はうつむくばかり。いたたまれなくなった僕は、家の外に飛び出した。
いまだに運転が下手くそな僕は、街路の電柱や壁にがつんがつんと体のヘリをぶつけながら、小道をふらふらと進んでいった。
空高く浮かび上がることができれば良いのに、それすらもうまくできない。地面すれすれで動き回ることしかできない。今まで人に怪我をさせていないことは、奇跡的だと思う。とにかく、道行く人に当たらないようにすることだけは気をつけていた。こんな中途半端な大きさの金属がぶつかったら、大変なことになるのは明らかだ。だからなるべく人通りの少ない、裏道を選んで走行することにしていた。
狭い道を運転して回りながら、家庭のことを考える。母も父も、きっと僕を疎ましいと思っている。けど口には出せない。だって死人だから。死人を悪く言うことは、許されないから。僕はそんな母と父にどう接したら良いのかわからない。だから今みたいに家を飛び出してばかりで、ふらふらと動き回って、時々どこかの建物に突っ込んで事故を起こしてしまう。両親が謝る姿を、もう僕は見たくなかったけれど、けれど、もうどうすれば良いのかわからなかった。
迷路のような裏道を抜けて、少し幅が広い通りに出てみる。坂道が続いていて、ちょうど坂の下には神社がある。確か、何だかの名前が付いている、地元では有名なはずの通りだったけど、興味が無くって忘れてしまった。道が広くなった代わりに、時折人が歩いていて、気をつけなきゃいけない。
ちょうど横を、坂道を下る自転車が通り過ぎた。少し急いでいるらしいその自転車を、僕は慌てて追いかけた。
「翔太!」
振り返った弟と、目があった。けど外から見たって、どこが僕の目かなんて、分からないんだろうな。
「兄ちゃん…」
少し速度を落とした自転車と僕は並走する。相変わらずふらふらしてしまうけれど、ぶつからないようにだけは気をつけた。弟と話すのは、久しぶりだった。両親がいる家の中では、なんだか話す機会をうかがえなかった。
「また家、飛び出してきたのかよ」
生きていた時は無口な方だったから、イエスかノーかで返事できる時は、頷くか、首を振るかで意思を示していた。けれど、もう今は頷き方がわからないから「うん」としっかり言葉で返した。
「大変だったんだぜ、請求書が届いたときの、母ちゃん。嫌な予感がして部屋に逃げ込んだんだけど、それでも金切り声が家中に響いて仕方なくってさ」
今度は返事の仕方がわからなかったから、やっぱり「うん」とだけ返した。弟は僕より一つ下の中学生で、反抗期真っ只中だったけれど、僕が死んでからというもの、少し、大人になったみたいだった。
「でも、こんなこと、兄ちゃんにはどうしようもないよな。死んでたら何にもできないし」
それはちょっと違う。何かできてしまうから、人様への謝罪が必要になったり、請求書が届いたりする。今の僕はもう、世の中に迷惑をかけることしかできない。
「兄ちゃん…。これからどうすんだよ」
僕は答えられずにいて、しばらく無言で自転車と並んでいた。その間、何人かの人とすれ違って、その度に、嫌そうな、不快そうな視線を向けられた。けど僕は、ぜんぜん、どうしたら良いのか分からなかった。
弟は少しうんざりしたような口調で、
「兄ちゃん、ちょっと俺、急ぐね。用事があるんだ…」
と言って、自転車の速度を上げた。僕を追い越して、ぐんぐんと坂道を下っていく。
僕は、おいてけぼりだった。
前を走っていく自転車をみて、無性に悲しい気持ちになった。
どうして自分がこんなに悲しくならないといけないのかとか、両親のこととか、自分のこの体のこととか、弟のこととかを考えていると、ますます訳が分からなくなった。
もう自転車は坂道の向こうへ消えつつあった。僕はそれを、嫌だと思った。はっきりと嫌だと思った。
訳が分からない僕は、おいてけぼりになるのはやっぱり嫌なんだと、それだけは気づいて、だから、気づいたら、全力で追いかけていた。
ますますふらふらになりながら、斜めになって地面にぶつかったり、電柱にかすったりしながら、自転車に近づいていった。
後ろの音に気付いたらしい弟が振り返って、ギョッとした表情を浮かべるのが見えた。僕はそんな弟も通り越して、ゴーッと坂道を地面すれすれで下っていった。
ああ、と思った。この瞬間の、たった今の僕は、自分がしたいことが、出来ているんじゃないかって。
そして世界のみんながしていることと、もしかしたら同じなんじゃないかって、思った。
そう考えると、とても良い気分になった。死んでから初めての気持ちだった。
ずっとこんな気持ちが続けば良いと思ったけど、速度を上げすぎた僕は自分を止められずに、坂の下の神社に盛大に突っ込んでしまった。
周り中が土煙だらけで、なんだか瓦礫みたいなものが周りに見えるけれど、幸い、人は巻き込んでいないみたいだった。
ざわざわと人が集まり始めて、不安げな声や、不快そうな声も聞こえてきたけれど、その少し遠くの坂道の上から、ゲラゲラと笑う声が聞こえてきた。
きっとまたヒステリックになる母のことや、請求書のこととかを考えると気が滅入るけど、今少しでも弟を楽しませることができたかと思うと、また少し、良い気分になった。