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現実と想像とマンガ

漫トロピー⑧ 《漫トロピー結成篇 了》

ルネにて。

まず彼、Mに、メールでは伝えきれなかった、細かな僕の考えを伝えることから始めた。

改めて、漫画読みサークルが京大には存在しないこと、無ければ作ればええやろという発想に至ったこと、それを我々から始めようということ、そして、東大にはその手のサークルがあるので、彼らを参考にしたいということを話した。

おもむろに僕はTMRの冊子を取り出し、彼に見せた。彼はすぐに肯いてくれた。

ほぼ二度目の再会だったし、ややぎこちない会話で進行していたものだから、当時の僕にはわからなかったが、後に彼から聞いた話によると、この時彼は「ワクワクしていた」ということだった。「何かとんでもないことが始まろうとしている」と。

そして実際、この時が、多くの人間にとっての転機だった。

 

空論を現実化するには、まずは人が必要だった。

時は、2月中旬。

もちろん4月の新入生勧誘を視野に入れる時期だが、先んじてこの段階で、我々の顔なじみ、かつ、漫画好きの人間を集めることにした。そうするとやはり高校時代の同級が対象になってくる。

相談して、何人かその時に当たりをつけ、後日それぞれから声をかけ、そして再度集まることになった。

 

2008年2月25日。やはり場所はルネ。

7人が顔を合わせることになった。全員顔見知りである。

1人目は僕、後のHNはねとは。

2人目はM、後のHNは渡来僧天国。

3人目はD、後のHNはわんだ。

4人目はS、後のHNはエムおー。

5人目はC、後のHNはRex。

6人目はK、7人目はF、しかし結局彼ら二人はこの場以降はサークルに残らなかった。

 

始動の時点として、必要最小限の人数がその場に集まっていたと思うが、サークルとしてこの先、形となっていくのか、まだ現実味は帯びていなかった。

けれども、後に振り返ってみれば、紛れもなく、この時にサークル「京大漫トロピー」が結成されたのだった。

なぜ「漫トロピー」というサークル名となったのか。

根底には、あまり堅くならないよう、また逆にウケを狙わないよう、自然というか、適当な感じで名付けた方が結局は良いだろう、という意図があった。

皆様はレミオロメンという音楽グループをご存知であろう。そのグループ名の由来は、メンバー3名それぞれが好きな言葉、レ、ミオ、路面を組み合わせたものであるという。

その発想にあやかり、7名それぞれが、好きなカタカナを一文字ずつ挙げ、それを適当に組み合わせる、ということにした。

集まったカタカナは、モ・ト・ヴ・ロ・ヌ・ヱ・ワ

それをランダムに組み合わせて、モワヱヌトロヴ。

これに近い(?)単語として、more entropy。

漫画の「漫」はサークル名に入れた方が良いだろう、という意見もあり、結果的に漫tropy→漫トロピーという名称へと至った。そしてその場の全員がこの名称を気に入り、笑い声を上げた。

漫がエントロピーに従って拡散していくようなニュアンスも感じ取れて、今考えてみても、偶然にしてはなかなか良いように収まったと思う。マン、が、トロ、ピーと、"捉えようによっては"微妙に卑猥な感じなのも洒落が効いているし、語感も良い。もちろん、略称は「漫トロ」だ。

 

この場ではサークル名の他に、さしあたっての活動内容が大まかに決まった。

漫画の情報交換を行う場とするということ。具体的には漫画を持参し、その場でレビューを行うということ、座談を行うということ。

機関誌を発行するということ。

活動場所はさしあたりルネで、月3回くらい集まろうということ。

また会長が僕、ねとはで、副会長がM、渡来僧天国、ということ。

 

そして、4月の新歓に向けての準備を進めていくということ。

 

「京大漫トロピー」は、2008年2月25日、京都大学の学食・ルネにて結成された。

《漫トロピー結成篇 了》

《漫トロピー始動篇へ続く》