ねとねとねとはのねとねと日記

現実と想像とマンガ

私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! 喪144 ~わたモテはゆり漫画である~

敬虔なワタモティストである私にとっては、そろそろゆりちゃん回が来るであろうことは分かっていた。無論お前らもそうだったろう。GWの予定は全て消化されていたはずだし、あるとしたら弟のイベントか、唐突にネモ特別回が挟まれるか、それくらいだろう。いずれの可能性もそう高くはないと思われた。畢竟、ゆりもこ名前呼びイベントが濃厚だったのである。心構えはできていたはずだった。そうだろう?

更新時間である午前11時30分の少し前、私はオサレな喫茶店に入り、カウンター席に腰掛け、エビカツサンドイッチとウィンナーコーヒーを注文した。アンティークの時計をはじめとした調度品の数々が、さりげない程度の密度で飾られており、年月による選択と淘汰を思わせる内装だった。まさに優雅にわたモテを楽しむに不足ないお店に思われた。運ばれてきたサンドイッチをかじり、コーヒーの心地よい香りに包まれながら、私はその瞬間を待った。これほどまでにオサレを準備すれば、完全にわたモテを楽しめるだろう?

そんな傲慢が全ての過ちであった。1ページ目を開いた瞬間、およそ三ヶ月ぶりに姿を現した生ゆり、そしてタイトルの"名前を呼び合う"に金剛を叩き込まれ、脱出不可能の煉獄が繰り出された。わかっていたはずなのに避けられなかった。私は激しく動揺した。手は震え、汗が滲み、口が渇いた。気持ちを落ち着かせようと手に取ったコーヒーは盛大にこぼし、サンドイッチには味が無かった。現実には意味が無かった。生ゆりにだけ存在があった。そしてゆりもこという関係性があった。そこにはオサレな喫茶店はもちろん、私も存在する価値が無かった。私はこれから先、どう生きていけばいいのだろう。壁や椅子にでもなれば良いのだろうか。

更新からの二日間、およそゆりちゃんのことしか考えずに日々を送ってきたが、現実との折り合いも兼ね、今回記事を書くこととした。お前らも早く目を覚まさねばならない。過酷な現実がそこにはあるが、目をそらし続けると、生存ができない。生存ができないと、ゆりちゃんに会えない。ゆりちゃんに会えないと、生きる意味が無い。生きるためにも、私といっしょに生存しよう。

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お前らの視線の動き程度、私にはわかる。ページを開いたとき、まずは改札を通る生ゆりが目に入る。つまりゆりちゃん回だと察する。お前らは瞬間、発狂しそうになるが、まだ慌てる時間では無いと、心を落ち着かせる。しかし次の瞬間タイトルが目に入る。このタイトルは約束されし勝利を意味している。

人間の脳はそう頑丈にはできていない。ちょっとした衝撃で簡単に異常が生じる。過酷な現実を生きるお前らはそのことをよくわかっているはずだ。だから、色々な方法を用いて、ストレスを分散させたり、ごまかしたりして、なんとか騙し騙し、脳の機能を正常に保とうと努力している。しかしそんな努力はゆりもこの前では全く役に立たない。全てが水の泡である。そしてこのタイトルはどう考えてもゆりもこである。本当にありがとうございました。

ところで今回の話の見どころは、ゆりもこ以外にもたっぷりとある。マジでたっぷりとある。キャラの関係性は錯綜に錯綜を重ねており、全コマを取り上げたいところなのであるが、この記事ではゆりもこ一点特化とする。

そうした視点で今回の話を読むと、15ページ中、実に11ページ目までは、NOTゆりもこなのである。いや、ゆり→もこに関してはたっぷり描かれているのであるが、ゆり↔︎もこは11ページ目まで出ないのである。わかりますよね?

そしてこの約10ページの間、ゆり→もこを描くと同時に、同時にですよ?、うちもこ、ネモクロ、きよもこ、かともこ、わだもこ、のみならず! 座席表からの無限の可能性に、ネモゆりも描くし、キバ子もキャラを立たせるし、ちょっとした描写だけで吉田さんが遅刻してすぐ寝てることも描けてるし、この漫画いったいどうなってんの??  へたな漫画の単行本一巻分くらいの情報量がここにはあるで??

もう一回言いますけど、ゆりちゃんが名前を呼びたくてヤキモキしている描写と、もこっちを始めとした群像劇の描写が完全に両立してるんですよ。GW明けに席替えがあるっていう予告はだいぶ前にされてたから、いつかそれで話を作るんだろうとは思ってましたけど、鮮やかに成り立たせすぎでしょ?? ハンターハンターで言ったら、アルカ編と選挙編を完全に両立させたのと同じくらいの錬成度でしょ。

フー、ちょっと気持ちを落ち着けるで……。そう、もこっちの名前を呼ぶ直前のゆりちゃんのように息を整えて……。

改めて、11ページ目からはじめていくで。

 

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アッ、アァーー!!!!!

アーーーーーー!ゆりちゃん!アァーーーーーー!!!!!!! 

なにこれ、なにこれ???アァーーー!!!!!!! 

フゥー、フゥ、フゥ、フゥー、フゥ、フゥ、フゥー、フゥ、フゥ、フゥー

アァーーーーーーーー!!!!

お医者さん!!!お医者さん!!!!!!!アーーー!!!! 

 

 

 

はい。

それで次のコマであるが、

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注目すべきは、もこっちの吹き出しが、徐々に歪んでいくところである。目のグルグル具合や、後のセリフから考え合わせるに、この場面のもこっちはだいぶ動揺しているようである。直前まで、ゆりちゃんと呼ぶことに関して逡巡していると思われる。結果、苗字で呼んでしまうわけであるが、なぜ苗字になってしまったかというと、これは"みんなの前で"言うのが照れくさかったからである。なぜなら、

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靴箱の前でゆりちゃんを呼び止めるときは(ゆりちゃんが何故怒っているかわかっていないのにも拘らず)名前で呼んでいるからである。これは重要なことである。強調しておくが、もこっちは、ゆりちゃんと二人きりのときには、 "ゆりちゃん"と呼べるのである。他の人がいる前では、少なくとも現時点では、呼べないのである。

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そして最終コマのこれである。わかるか? 「そういやお昼のあれ何?」である。この直前のコマでも"智子"と呼ばれているのに、そのことに関しては言及していない。つまり、これもさっきと同じ、"みんなの前で名前を呼ばれることが恥ずかしい"のである。言い換えると、"ふたりの時なら智子と呼んで良い"のである。わかりますか??

ゆりちゃんの「!」の意味合いについても考えていただきたい。この「!」は、もこっちが"みんなの前で"名前を呼びあうことに恥ずかしさがあっただけであり、"ふたりの時に"名前を呼びあうことに関しては問題が無いのだと理解したがゆえの「!」なのである。直前のコマにおいてゆりちゃんのわだかまりが解けたように見えるが、真にわだかまりが解けたのは、この「!」においてであろうと推測される。この喪144において、最も密度の高いセリフはここの「!」であろう。思考と感情が凝縮されているのである。一見、余韻を残すようなコマに見える最終コマだが、その実、見逃せないコマなのである。 

では結局、一体何が起こっているのかというと、もこ→ゆり警報が鳴り響いているということなのである!!!! 「名前で呼びあうのはふたりの時ね、みんなの前では恥ずかしいし」と言っているのと同義なのである! 隠れて付き合ってる恋人のムーブかよ! あたまおかしくなりそうだわ!!!! なにしてくれとんねん!!!!!

今回の記事で一番言いたかったのはこのことだったのだが、最終コマ手前も見逃せない・・・最後にこちらも触れておこう・・・。

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尊すぎて死にそうになるコマであるが、落ち着いてほしい。けっこう感慨深いコマなのである。というのも。

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上が修学旅行中、下が修学旅行直後であるが、つまり、ゆりちゃんがもこっちのことをバカだと思っていたのは、ほとんど初対面時からなのである。しかし、バカと口に出したのは、作中では今回が初めてなのである。そして、こちらとも比較してみよう。

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もこっちがほとんど同じ反応をしている点から、作者も対比を意識している可能性は高い。

どちらの場面でも、もこっちはムッとした反応を返しているが、「バカ」と発言したネモもゆりちゃんも、愛情を持って言っているであろうことは想像に容易い。「バカ」と愛情を持って言える関係というのは、かなり近い関係性なのだろう。

ネモは遠足でもこっちに急接近し、そして成功したがゆえに(ネモクロ呼びなど)、このような近い関係性が結ばれた。俗な表現でアレだが、遠足の一日で、ネモはゆりちゃんを抜き去ってしまっていたと言えないこともない。ネモは関係を作るのが早いのだ。

しかし、ゆりちゃんは、修学旅行以降、地道に地道にもこっちと関係を作ってきた。そしてついには、今回、「バカ」呼ばわりすることができるくらい、もこっちとの関係を築くことができたのである。ネモから少し遅れて、この関係性を得られた。いや正確に言うと、「バカ」と気兼ねなく呼べると"ゆりちゃん自身が"自信を持てる関係にようやくなれた、のだろう。

そういった意味でも、なかなかに感慨深い一コマなのである。

 

少々取り乱した場面もあったが、言いたかったというか、吐き出したかったのは以上である。吐き出さないとあたまがおかしくなっちゃいそうだったのである。わたモテという漫画は罪過ぎる。次の更新(ネモ回確定であるが)まで、過酷なる現実世界において、息継ぎをしながら、その日を待ちたい。なお、私はまごうことなきゆりちゃん派なので、やや偏った意見を言っているかもしれないが、お目こぼしいただきたい。