読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ねとねとねとはのねとねと日記

現実と想像とマンガ

米代恭『あげくの果てのカノン』 :レビュー(既読者及び全然興味無かった人向け 少々ネタバレ有りver.)

漫画

人間の同一性に対してどう向き合うか

オススメ ★★★★

 

ネタバレ無しver.から書こうと思っていたが、既に十分話題作な上、ときどき取り上げられ方に疑問がある漫画だったので、ネタバレ少々有りver.から書こうと考えた次第である。なお、2巻の範囲までのレビューである(雑誌連載は読んで無い)。

ネタバレ”少々”有りとして書いているので、これからこの漫画を読む予定であった人は、以下読まない方が良い。ぜんぜん読む気が無かった人、もしくは既に読んだ人向けに、以下レビューを行う。

 

「ストーカー気質メンヘラ女子の痛すぎる恋に、共感の嵐です!」

これは公式の謳い文句なのだが、個人的にはこのキャッチコピーはまったく頂けない。というか怒っている。何がダメって、メンヘラという文言の安直な使い方だ。メンヘラって、どういう定義と理解して使ってるんですか、と問いたい。まぁこのあたりは、特別個人的な思い入れもあって、そもそもメンヘラというバズワードの存在自体を嫌っているのだが……(精神疾患を十羽一絡げに扱い、ひいては不必要な区別→差別につながり得ると思っているので)。

さらに言うと、そもそもこの全文自体があまり物語の本質を捉えられていない。キャッチーで、話題のフックになりやすいのは理解できるが、率直に言って品が無いと思う。作者の哲学に対して失礼なんじゃないかと思うのだが…その辺りを含めて、以下、紹介していこうと思う。

 

一応簡単なあらすじを。

ゼリーと呼ばれるエイリアンの襲来によって荒廃した東京の中で、ヒロインである高月かのん(23)は、”先輩”こと境宗介に恋をしていた。彼女は一度高校時代に振られていたものの、それでも一途に彼に恋をし続けていた。境は入隊し、この世界の”英雄”的存在にまで昇りつめ、エイリアンとの戦闘で活躍をしていた。かのんにとって、遠くから見るだけの対象となってしまっていた先輩に、ある日アルバイト先の喫茶店で再会を果たす。しかし先輩は既に結婚をしておりーー。

 

さて、この漫画の核心は、ヒロインの”ストーカー気質”の濃いキャラクター性、にあるわけでは決して無い。最初、僕もここを勘違いしていたがために、試し読みの範囲内で読むのをやめてしまった経緯がある。だがどうやらこの漫画の魅力は別な部分にあるらしいということを知らされて、しっかり単行本2巻分読んだ次第だ。

f:id:netoneto:20170212065912p:plain

<確かにヒロインはストーカー気質で濃く描かれているが、これは物語の只の一要素。ただし可愛い>

本当の核心は、人間の同一性に対してどう向き合うか、という、もっと大きなテーマにある。

物語の真ん中に据えられているのは、境宗介。彼が”修繕”によって”変化”するというのがこの物語最大のポイントである。

この漫画のキャッチフレーズの一つとして「SF×不倫」とある。ゼリーと呼ばれるエイリアンの襲来によって、エヴァ的な、セカイ系的な、終末観が演出されていて、そこは確かにSFであるが、最も大事なのはこの境宗介の”修繕”の要素である。彼はエイリアンの攻撃によって、たとえ脳が破壊されても、”修繕”によって再生される。しかし再生後は、”変化”する。小さい変化の場合は、食べ物の嗜好程度。ところが大きい変化の場合は、人格レベルで変わってしまう。この、人格が変わった境宗介は、果たしてそれまでの境宗介と全く同じ人物として捉えて良いのか? というところがこの物語のキーポイントである。

f:id:netoneto:20170212070405p:plain

<境宗介。"左腕が無くなった程度"では大したことは無いのだが……>

この中心の左右に位置し、対立するのが、ヒロインである高月かのんと、境宗介の妻。この二人の女性である。

かのんは、境宗介の”変化”を肯定する。”ストーカー気質”という彼女の性格は、その肯定を担保する一要素である。どう変化しようと、彼女は彼を受け入れる存在として描かれる(ただし、葛藤の描写はある)。

そして妻は、境宗介の”変化”を否定する。彼女は研究者でもあり、”修繕”による”変化”を食い止める研究を行っている。かつての彼を取り戻そうと考えている。

この二人の女性の対立は、同時に、人間の同一性への捉え方に関する価値観の対立となっているわけである。

 

『あげくの果てのカノン』の英題(副題?)は『AND HE ARRIVED AT THE KANON」となっている。カノンという言葉には、元来「基準」や「規範」という意味があるという。偶然では無いだろう。作者は意識して、この名前をヒロインに当てていると思われる。作中に出てくるパッヘルベルのカノンの挿話は、副次的なものだろう。このタイトル通りに物語が進行していくのか、そこが焦点と思われる。

 

もう一つ述べておきたいことがある。作者は、四季賞出身で、デビュー作はアフタヌーンでの読み切り『いつかのあの子』。交通事故後に学校に戻ってきた友人は、外見は同じであれども中身が幽霊と入れ替わってしまっており、実は当人は既に死んでしまっていた。それでも主人公は、外見だけでも同じの、その友人を求めてしまう。そういうストーリーだった。人間の本質や自己の同一性について問いかけるテーマであった。

そしてこれは間違い無く、本作『あげくの果てのカノン』にも通底するテーマである。このデビュー作においては、人格どころか中身が丸々変わってしまっていても、それでもその人物を肯定していた。

 

安直なキャッチコピーに惑わされてはいけない(僕は最初惑わされた。編集許すまじ)。この作品は、作者の哲学が込められた、意外と深いテーマを扱った物語なのである。

以上のレビューを行ったが、プロットのネタバレはほとんど行っていないので、その点においては未読者は安心して欲しい。

春頃に3巻が発売されると思うので、また内容次第でレビューを行いたいと思う。 

あげくの果てのカノン(1) (ビッグコミックス)

あげくの果てのカノン(1) (ビッグコミックス)

 
あげくの果てのカノン(2) (ビッグコミックス)

あげくの果てのカノン(2) (ビッグコミックス)