ねとねとねとはのねとねと日記

現実と想像とマンガ

現実的な日記10

疲れ疲れのオ味噌はジュンジュン。

行きはよいよい、帰りはぐそぐそ。

疲れを癒すは信仰心。

アヒル教。

 

ピーちゃん、今日も今日とて疲れた脳。

「ピー、ピィピィ」

どうしたら疲れがとれるか脳。

「ピィー、ピィピィ」

なるほど、漫画読んでジュンジュン。

「ピー、ピィピィ」

最近はヒナまつりの最新刊読んで爆笑したよ。

「ピィー、ピィピィ」

アレはいいものだよね。

「ピー、ピィピィ」

ピーちゃん、日本語うまくなったなァ。

「ピィー、ピィピィ」

そりゃすごい。

「ピー、ピィピィ、ピピピ」

ゴブリンの群れにこっそり隠れるんだよ。

「ピピピ」

だめだよ、俺はホブゴブリンにはなれないんだよ。

「ピピピッ」

そんなこと言われてもなァ。

「ピーィ」

無理だよ、俺はFAX化なんて、できないよ。

「ピィピィ」

そりゃそうやわ。

「ピイ」

トロッコでもあれば良いのにねェ。

「ピィピィ」

ピーちゃん、難しい日本語を知ってるんだね。

「ピピピィ」

英語ではイニシエーションというらしいよ。

「ピッ」

アヒルはそこまで頑張らなくて良いんだよ。

「ピッピッ」

シャーマンキングな。

「ピー、ピィピィ」

わかったわかった。

「ビビビビビビ」

痛い痛い。

「ビビビッ」

すいませんでした。

「ピィ」

そうだね、もう、お帰り。

「ピィピィ」

また、明日。

 

あんたの隣にアヒルはいるか。

漫画ゾンビ①

漫画ゾンビの大群がショッピングモールに押し寄せてくる。

上から眺めると、その群れは、皮膚を剥いだ下にある、トウモロコシのような皮下脂肪の塊のようにも見えた。真っ黄色に染まった漫画ゾンビたちは、まだ足らない、まだ足らない、と口々に唱え続けている。ただし協調性が無く、皆ばらばらに喋っているので、それは不快を呼び覚ます不協和音でしかない。

強力なゾンビパワーの結集により、モールの入り口に設置してある防御カーテンにもヒビが入り始めた。ここのバリケードが破られるのも時間の問題だろう。

 

漫画ゾンビたちは全国の書店の漫画コーナーをあらかた食いつぶしてしまった、という情報を、先ほどラジオで聞いた。そして、第七感と呼ばれる、人間を超えて得られた漫画ゾンビ特有の感覚により、このショッピングモールにも漫画が備蓄されていることに気付いたらしい。あまり詳しくは知らないが、どうやら漫画から漂うフェロモンのようなものを、ゾンビ固有の受容体によってキャッチしているということだ。

 

数百年前に突然変異として出現した、感動をむさぼらなければ生きていけない人間の一個体が全ての大元だった。当時は感動依存症という名前で、社会的には病気として認知されていた。しかし、その人間は、感動を味わえば味わうほど、常人の数百倍のカタルシスホルモンが全身を満たし、肉体的にも精神的にも大幅に強化され、さらには繁殖力も増大していったという。これは病気ではなく進化だという通説が一般化するのには、それから数十年を要した。しかし、その問題点に気づかれた時には既に遅かった。遺伝性をもつ、この特徴は、子孫にもそのまま受け継がれ、その恐ろしい繁殖力のまま、数を増大していっていた。遺伝が進めば進むほど、その強化力はさらに増大し、ある時に超えるべきでは無い一線を超えてしまった。それが漫画ゾンビだった。

 

《続く》

現実的な日記9

ご機嫌なアヒルが3羽、ソファーの上に陣取っている昼下がり。ニーアオートマタのサントラを聴きながら過ごす昼下がり。パン屋のパン食べ、物憂げなそぶりを孤独にしてみせる昼下がり。

少し穴のことを考えてみる。

穴の下と上がつながっていたら?

小さい穴なら、小さなお子様も昼下がりを楽しく過ごせるだろう。何故って、下の穴に入れた指が上の穴から出てくるのが楽しくないわけが、ないでしょう? きっと僕でもそうやって昼下がりを食いつぶすだろう。

もう少し大きい穴だったら? アヒルサイズの穴だったら? お年寄りも昼下がりを楽しく過ごせるだろう。何故って、下の穴に突っ込んだ腕が上の穴から出てくるのが楽しくないわけが、ないでしょう? 背中が痒くなっても、それが頑張っても届かない位置でも、穴を上手に使えば、背中を掻ける。孫の手はもう必要ない。

もっと大きい穴だったら? ギアガの大穴サイズの穴だったら? 誰も楽しく過ごせないだろう。たとえ、勇猛たるあなたでも。何故って、うっかり穴に落ちてしまったら、無限に穴を落ち続けることが、楽しいわけ、ないでしょう? 加速度によって無限にエンハンスされるスピードから逃れられない。端からみたら、あなたは残像でしかないだろう。

残像と化したあなたからもまた、周りの景色も残像でしかないだろう。けれどあなた自身は自分のことを残像とは思わないだろう。自分としては確かにそこにいるんだから。

ここまで考えて、人間や社会で横行するすれ違いは、穴の残像と同じということに気づく。あるいは、主観的世界と客観的世界のズレもまた、穴の残像と同じかもしれない。残像なのは俺とお前、どっちだ? という考えを、あなたは抱くかもしれない。

恐らく、社会から振るわれる暴力の矛先は、あなたの方に向くだろう。あなたから見ればそれは理不尽そのもの。けれど、社会とはそういうものだとあなたは、とことん理解しなければならないだろう。数の大小の差分は、力、そのものとなるだろう。

力は穴を塞ぎにかかるかもしれない。穴の周りを壁で覆ってしまうかもしれない。そしたらあなたは、暗闇の中で浮遊する、ただそれだけの存在になってしまうだろう。あるいはもしも、穴の下と上とをくっつけられてしまったら? あなたはどこに存在するのか? ひょっとしたら圧縮されてしまうのだろうか。穴の中であなたは、つぶれてしまうかもしれない。長い靴下を履く前に、ギュッと靴下を圧縮する。あなたは圧縮される靴下と似た様なものなのかもしれない。あるいは靴下以上に圧縮され、とうとう無になるかもしれないし、無限大になるのかもしれない。

だから穴とは不安の象徴として機能するかもしれない。

 

そうして僕は知見を得られた。穴と残像と不安は強く結びつき、新たなるイデアを構築することになる。素晴らしき、土曜日の午後よ。

ドブリンゴ

ぷかぷかと、沢山のドブリンゴが銀の川の上を彷徨っている。

しゃりしゃりと、砂糖烏が熱線の上で、さっき攫ってきたばかりのドブリンゴを食い潰そうとしている。

ぎりりと、夢魔が弓を引いて砂糖烏を撃ち落そうと、大型赤ポストの陰から狙いを定めている。

けれども大型赤ポストは気まぐれに移動するのが常識。

間の悪いことに矢を放つ直前にポストが動いてしまったから、砂糖烏に気付かれてしまった。

驚愕反応を示してどろどろに溶けた烏は、熱線の上をずるずると移動していってしまった。

食後のデザートと考えていたに違いない夢魔は、とぼとぼと残念そうに川沿いの道を歩いて去ってしまった。

一連の様子を見ていた僕は、少し自分を重ねてしまい、やりきれない気持ちに囚われてしまった。

一緒にみていた彼女をちらりと見ると、彼女も何かしらの感情の機微を示しているみたいだけれど、僕のそれとは違う感情にみえた。しかしどのような感情なのかは分からない。味はわかるけれど、レシピは分からない料理のように。もしかすると、多くの人が抱いたことの無い感情なのかもしれない。彼女の病気がもたらす、特有の感情なのかもしれない。そうだとしたら、僕は彼女に共感を示すことさえできないのかもしれないし、そう考えるとますますやりきれない気持ちに囚われてしまう。

砂糖烏も夢魔も去った今、近くで動いているのは川の流れとドブリンゴだけだ。

自然と僕は銀の川に目を向けた。長い夕方はまだまだ続きそうだと思った。

漫トロピー⑪

4月4日。一番最初に新入生が来てくれた日だから、当時のことは比較的鮮明に記憶に残っている。

私と渡来僧天国(HN)とで出町柳駅まで、事前に連絡をくれていた一人の女性を迎えに行き、当時の活動拠点であった「ルネ」に戻った。すると、わんだ(HN)と見知らぬ一人の男性が既に話し込んでいるではないか。だから、どちらが一番乗りと言えるかは分からないが、ほとんど同時に、出現したのだ。「出現」。そう、「出現」としか言いようがなかった。

まずその女性は、後々のHNとして「ガチムチ山」を名乗ることになる、京都女子大学生。男性の方は「さなさぎ」と名乗る、京都大学生。もう一度言うが、入学式もまだなのに、真っ先に我々の得体の知れないサークルに来てくれたのだ。その時点で只者では無いし、会話を進めると、やはり只者では無いことが分かってきた。

 

ここで話は逸れるが、僕は某学部の某運動部にも1回生のころから所属していた。そちらでの新歓は、話題を展開するのが(僕にとって)少々苦手だったことを覚えている。部活やサークルでの新歓を経験したことのある方ならなんとなく分かっていただけると思うが、最初はどうしても当たり障りの無い、うすい質問にならざるを得ない。たとえば「どこ出身なの?」というテンプレートな質問。

「へぇ、そこ出身なの、そこ出身といえばあの先輩もそこ出身なんだよ。そこ出身ということは、◯◯があるところだよね……」みたいな会話は僕にとっては心底どうでもよかった。率直に言って、僕は基本的に他人への関心が薄い。

こんな話を聞いたことがある。いわく、オタクは、趣味などの物事を通じて人と仲良くなるが、それ以外の大多数の人間は、「人間関係」の話題を大切にして仲良くなっていくのだという。もしそうであれば、僕は間違いなく前者にあたるし、後者の気持ちはあまりよく分からない。まぁ、そもそもオタクというのは程度の差はあれども、Autism Spectrum Disorderの要素を含んでいることが多いし(たぶん)、僕自身もある程度のSpectrumの位置にあることは自覚している。そう考えると、腑に落ちる。

 

話を戻すと、漫トロの新歓は話題を展開するのが、なんともたやすい。もちろんこの質問から始めれば良い。「何の漫画が好きなの?」と。漫画という趣味を経由した話題の展開。我々の奇特なビラをみて、我々の新歓に足を運んでいる時点で、漫画を読むことを趣味としている人間が来るのは、まず間違いが無い。「大学でテニスを始めてみない? 楽器を始めてみない?」はあっても、「漫画を読むのを始めてみない?」はまず無い。ルネで我々と共にテーブルを囲んでいる時点で、既に漫画読みオタクであることは分かりきっているのだ。だから、好きな漫画の話を広げていけば、こちらとしても、新入生としても、簡単に楽しく会話ができる。仮に好きな漫画のジャンルが偏っていても、たいてい、我々5人の同級生メンバーの誰かの守備範囲には入っているし、あるいは誰も知らなくても、「今度読んでみるからどんな漫画なのか教えて」と話を広げることもできる。こういうところがオタクサークルの強みと言えるのかもしれない。そして、そもそも、こういう会話をすることが、僕がサークルを立ち上げようと思った第一の理由なのだ。何回でも言うが、基本的には漫画読みは「漫画読みとしては」孤独なのだ。

 

まだ新入生の男女の特異性について触れていなかった。彼と彼女はもちろん、漫画読みだった。それぞれに、こだわりの漫画のジャンルはあったが、それについては、さしあたって置いておこう。

その日はまず女性の方から、1つの学びを頂いた。絶対領域という言葉がある。女の子のミニスカートとニーハイソックスの間に見える太ももがその領域に該当するが、男性にも絶対領域が存在するという。それは、手袋をした手とシャツの間から見える、腕の先の領域なのだと。いまググれば、数年前にネット上でバズったことがわかったが、10年近く前の当時としては多分新しい知見だったんじゃないかと思う。腐女子に該当する彼女からは、いろいろと我々男性オタクにとっては新鮮な話が次々と出て、大変興味深かったのを覚えている。

そして男性。話の流れから、何故か幼女についての話題にいつの間にかなっていたのだが、そこから、彼が大学の履修科目としての第二外国語で、難関のロシア語を選択しようと思っているという話が出てきた。なぜそんなことをするかというと、彼はロシアの幼女について、ある意味において興味津々だからだという。理由はそれ以外には全く無かったようで、彼の性癖への真摯な向き合い方には一同感心させられたのを覚えている。よこしまな理由という言葉は、こういう時に使うのかもしれない。

 

彼・さなさぎと、彼女・ガチムチ山は、以来、毎週訪れてくれた。きっと、我々が3月に醸成したサークルの雰囲気を気に入ってくれたのだろうと思うと、とても嬉しかった。誰も来てくれない可能性も想像していたので、ホッと胸をなでおろしたのを覚えているし、同時に、これから本当にサークルとしてしっかりやっていかなければいけないのだろうな、という、ある種の責任感から、気概が掻き立てられたのも覚えている。

 

そして、入学式後の初の例会である4月11日。当時の我々にとっては、またしても驚きの展開を迎えることになる。

 

《続く》